三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

土井裕泰『ビリギャル』

2015年10月01日 | 映画

実話をもとにした映画を見てて、ほんまかいなと思うことがあります。
映画なのだから、事実そのままということはなく、創作の部分があるわけですが、どこまでが事実で、どこが創作か気になります。

ビル・ポーラッド『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』は、ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンの半生を映画化したもの。
ブライアン・ウィルソンは麻薬漬けで、おまけに1963年、21歳の時から声が聞こえるというのだから、統合失調症だったらしいです。
薬物依存症と統合失調症の両方があると、薬物をやめるのは難しいと聞きます。
でも、ブライアン・ウィルソンは薬物をやめ、今も音楽活動をしているのは事実なわけで、どうやって薬物依存症と統合失調症から回復したのか、そこらを知りたいです。

バフマン・ゴバディ『サイの季節』は、イラン革命で逮捕され、30年間も刑務所に入れられ、死んだことにされて墓まで作られた詩人が主人公。

イタリア人のモニカ・ベルッチが妻役で、どうしてイラン人の役を演じているのかと思ったら、モニカ・ベルッチはペルシャ語を話せるそうで、20代でも違和感はないけれど、50歳で、これは本当の話。


土井裕泰『ビリギャル』はたしかにおもしろいけど、あれっというところがあれこれあって、後味はあまりよくない。

ネットを見ると、原作をタイトル詐欺だと批判している人もいます。

授業中にクラス全員が勝手におしゃべりをしてて、教師が怒るシーンがあり、底辺校でいちばんビリの生徒が慶応に合格したのかと思いました。

でも、私立の中高一貫校なのに授業崩壊というのはあり得ないと疑問。
高校の偏差値で一番低い高校でも37ぐらいなのに、主人公の偏差値が30というのはどういうことか。

主人公が最初に塾に行ったとき、先生からいくつか質問を受けるんですが、その答えが笑わせます。
でも、おかしい。

原作者の坪田信貴先生が書いているサイトがあり、そこから無断引用します。

聖徳太子を「せいとくたこ」と読む。
「だって、この子、きっと超デブだったからこんな名前付けられたんだよ。せいとくたこって」

「日本地図を書いてみてくれ」と言われて、円を描く。
「え?日本ってそんなたくさんあんの???」

東西南北がわからない。

「あのさ、北が↑の時、南ってどっち?」
「・・・・・・いやー、そういうの私無理だわ―」

というわけで、高校2年生で小学4年生程度の学力だと判定されます。

しかし、私立中学に合格しているのにこの程度のことも知らないのかと、坪田先生も不思議に思います。

坪田「ちょっと待て。さやかちゃんさ、君、一応私立中学受験してるんだよね? だから、今の女子高行ってるわけだろ? おかしくないか? その無知っぷり」

さやか「あー、さやかね、中学受験、国語と算数だけなんだよね。今は4教科らしいんだけどさやかのときまで2教科だったの。だから社会全然わかんないんだ。しかも、小学校の時あーちゃん(お母さん)から、さやかここで合格したらあとずーっと勉強しないで大学まで行けるんだよ? だから頑張ろう! って言われて頑張ったの。だから、中学入ってから今までの5年半、全く何もしてないから、算数も国語も全部わからないの」

この説明に納得するかどうかですが、聖徳太子を「せいとくたこ」という人名かと勘違いしたということは、「聖」と「徳」は読めたわけです。

聖は6年生、徳は5年生で、東、西、南、北は2年生で習います。
社会はわからなくても、小学2年で習う漢字の意味ぐらい知っているはずです。
映画では、strongの意味を聞かれ、「長い話」と答えます。
storyがlongというわけですが、storyとlongの字と意味を主人公は知っていることになります。

中学3年のときの成績表の写真が坪田先生のサイトに載ってて、1学期のテストではたしかに学年でビリ(197人中197位)ですが、他のテストではビリではありません。

3学期の数学は58点(学年平均60.8点)、3学期の国語の課題テストは73点(学年平均63.7点)ですから、「算数も国語も全部わからない」わけではないようです。
なぜ高校2年生の時の成績表を載せなかったのかと勘ぐりたくなります。

偏差値30がどの程度の学力なのか知りませんが、高校生でも九九ができない子、アルファベットの大文字と小文字を全部書けない生徒は珍しくないそうだし、飲み屋でバイトしている女子高生がメニューの「小イワシ」を読めなかったと聞きました。


小学4年生程度の学力でも塾に通うようになって、英語の偏差値が70になります。

そんなに簡単に偏差値が70に上がるんだったら、誰も苦労はしない(英語がさっぱりだった私のひがみです)。
塾で勉強した英語と国語と日本史の成績はぐんぐんあがっているはずだから、学校や担任も驚くと思うのですが、学校のテストの点数や順位に映画では触れません。

主人公はいつも4人でつるんで夜遊びしては朝帰りしているんですが、4人とも男友達、もしくは恋人がいないようで、これも不思議。

バイトする時間はなさそうなのに、遊ぶ金はどうしているのか。
塾に通うようになっても、夜遊びには今までどおりにつき合い、でもカラオケでノートを広げて勉強しているんだから、友達から白い目で見られないのかと思います。

もっと驚くのが、毎日のように朝帰りをしているのに、母親がそのことに何も言わないこと。

主人公の親は子供の好きにさせるという主義なのかもしれないけど、他の3人の親も気にしていないとしたらおかしい。

『ビリギャル』を見て思ったのが、持って生まれた能力ということ。

主人公の弟は小さいころから、父親にプロ野球の選手になれと言われてしごかれ、名門高校野球部に入りますが、挫折、野球をやめます。
それで思い出したのが、桑田真澄氏の講演を聴いた知人の話です。
桑田真澄氏はPL学園高校に入ると、体格も実力も自分とは桁違いのチームメイトたちに圧倒され、登板機会を与えられても、痛打を浴び、監督から外野手転向を言い渡されるので、やめたいと母に泣きつくが、母に励まされ、便器を磨いたり、草取りをするなどの努力を続けたという。
ところが、ウィキペディアの「清原和博」の項を見ると、桑田真澄氏の投球を見て驚嘆し、投手になることを断念した、とあります。

高校1年の夏には甲子園にエースとして出ていますので、桑田真澄氏が補欠だった時期はそれほど長くはなかったはずです。

主人公や桑田真澄氏はもともと能力があり、それが努力によって開花したのでしょう。

夢を持ち、努力することは大切ですが、努力すれば、必ずレギュラーになれるわけではありませんし、誰もが主人公や桑田真澄氏のような能力を持っているとは限りません。

事実なんだと言われたら否定はできません。

しかし、いくら実話を映画化するといっても、映画は事実そのものではありません。
いかにうまく脚色をするかが映画の出来を決めます。

ネットで調べたら、ブライアン・ウィルソンと主治医の関係は映画で描かれたよりもこんがらがっていますが、そこは『ラブ&マーシー』では省略しています。

『サイの季節』だと、詩人が30年間も刑務所に入れられて妻と引き離されたという事実をもとに、監督がイメージをふくらませています。
見えすいたウソでは白けてしまうので、上手に嘘をついて観客をだましてほしいと思うわけです。

コメント
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