三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「オウム真理教元信徒広瀬健一の手記」2 カルマの法則

2012年05月31日 | 問題のある考え

広瀬健一氏によると、オウム真理教の教義は次のとおり。
「教義では、修行の究極の目的は「最終解脱」でした。オウムでは七段階の解脱のステージが定められており、最終解脱はその最高峰でした。
 最終解脱は、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜といわれる境地でした。
 ここで絶対自由とは、カルマ(業(ごう)。転生する原因)から解放され、どの世界に転生するのも、最終解脱の状態に安住するのも自由という意味です。(略)
 なぜ解脱しなければならないのか――それは、輪廻から解放されない限り苦が生じるからだ、と説かれていました。これは、今は幸福でも、善業(幸福になる原因)が尽きてしまえば悪業(苦しみが生じる原因)が優位になり、必ず苦界に転生する運命にあるということです。特に、地獄・餓鬼・動物の三つの世界は「三悪趣」と呼ばれ、信徒が最も恐れる苦界でした。(略)
 私たちは、自己が存在するだけで完全な状態にあったのにもかかわらず、外界の存在に対して欲望を抱きました。その結果、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の境地から離脱し、輪廻転生を始めたのです。それ以来、私たちは欲望を充足するために、様ざまな行為(思念することも含む)をするようになりました。
 その行為は情報として、私たちの内部に蓄積されていきました。この蓄積された情報を「カルマ(業)」といいます。カルマのうち、苦しみが生じる原因が「悪業」です(カルマは善業も含みますが、教団では通常、悪業の意味で使われていました)。教義では、世俗的な欲望を満たすための行為は悪業になるとされていました」

カルマの法則とはバチが当たるということである。
自業自得は仏教の基本的な考えだが、自業自得とバチが当たるとは意味が違う。

バチが当たったということは、
 先祖を粗末にしたから(因)→病気になる(果)
自業自得は
 
酒を飲み過ぎて(因)→二日酔いになる(果)

カルマとは行為という意味だが、それだけではない。
何か行為をすれば、それが実体となって残る。
その実体がカルマである。
カルマは自分自身の来世だけではなく、他者にも影響を与える。

「たとえば、嫌悪の念や殺生は地獄に、貪りの心や盗みは餓鬼に、真理を知らないことや快楽を味わうことは動物に、それぞれ転生する因になるとされていました。このように自己のカルマが身の上に返ってくることを「カルマの法則」といい、これは中心的な教義でした」

悪業(カルマ)を作れば、来世では地獄、餓鬼、畜生(動物)に墜ちるというわけである。

カルマの法則はオウム真理教独自の考えではない。

中村元『仏教語大辞典』の「業」の項には、
「3 行為の残す潜在的な余力(業力)。身・口・意によってなす善悪の行為が、後になんらかの報いをまねくことをいう。身・口・意の行ない、およびその行ないの結果をもたらす潜在的能力。特に前世の善悪の所業によって現世に受ける報い。ある結果を生ずる原因としての行為。業因。過去から未来へ存続してはたらく一種の力とみなされた。
4 悪業または惑業の意で、罪をいう」
とある。

悪業による報い(三悪趣に堕ちること)を防ぎ、輪廻から解脱するためにはカルマを浄化しなければいけない。
「カルマの法則に基づいて考えると、解脱、つまり輪廻からの解放に必要なのは、転生の原因である煩悩・カルマを減少・消滅すること――オウムではカルマの浄化といいました――です。煩悩・カルマを滅尽すると、最終解脱に至るとされていました。ですからオウムにおいては、カルマの(特に悪業の)浄化が至上命令でした」

カルマの法則やカルマの浄化を説く人は珍しくない。

その一人である江原啓之氏の本『日本のオーラ――天国からの視点』の視点を、櫻井義秀『霊と金』は次のようにまとめてある。

①同性愛者には人を差別してきたカルマが見える。だから差別を受けることでカルマの法則を学ぶのではないか。
②アメリカの9・11テロも広島の原爆もカルマの法則で捉えられる。奪ってきたものがあるから、奪われる。戦争という形で魂の浄化が果たされる悲劇がある。
③社会貢献や慈善事業はカルマ落としになる。国税も稼いだ人に国がカルマ落としをさせるようなもの。

江原啓之氏は差別や戦争をカルマの浄化のために意義あるものと肯定しているのである。
しかし、現在の苦(災難、障害、貧困、差別など)は前世の業の結果だとするカルマの法則はおかしい。
というのも、前世で五戒を保つなどの善業を積んだ功徳で人間として生まれたのだから、前世で悪業を作ったら人間に生まれては来ないはずである。
人を殺したら三悪道に堕ちると脅し、その一方で、前世で悪業を作ったからこんな苦しい目に遭ってるんだと非難するのは矛盾である。

コメント (2)
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