三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

映画とリアリズム

2011年11月10日 | 映画

「第二回午前十時の映画祭」でフランク・キャプラ『素晴らしき哉、人生!』(1946年)を見る。
『素晴らしき哉、人生!』は主人公が1919年に12歳の時から始まり、1928年21歳でジェームズ・ステュアートが登場する。
映画の現在はたぶん1946年、ジェームズ・ステュアートは1908年生まれだから、主人公の現在の年齢とほぼ同じ。
21歳から39歳までを演じているわけだが、その間の年齢の変化がないように見える。
1919年のシーンから出てくる叔父役のトーマス・ミッチェルと敵役のライオネル・バリモアとなると、27年も経っているのにまったく変わらない。
ひょっとしたらシワやシミが増えているかもしれないけど。

左端が叔父さん

本映画の物足りない点の一つは、老けメイクが下手ということである。
森田芳光『武士の家計簿』で、堺雅人(1973年生)が白髪頭に杖をついてよたよた歩いていても、老人には見えない。
妻役の仲間由紀恵(1979年生)となると、結婚当初と少しも変わらず、息子の嫁のようである。

三池崇史『一命』の市川海老蔵(1977年生)にしても、孫がいるような年には見えない。
もっとも小林正樹『切腹』の仲代達也は29歳だったけど。

新藤兼人『一枚のハガキ』はリアルさをまるっきり無視した映画なので、文句をつけるのもなんだが、六平直政(1954年生)の両親が柄本明(1948年生)と倍賞美津子(1946年生)というのは無理があるように思う。
たしか結婚して15年たっていて、出征の前に「帰ったら子どもを産もう」と夫は言う。
しかし、結婚して10数年たつのに子どもができなかったわけだし、妻役が大竹しのぶ(1957年生)なので、出産は不可能ではないかと思う。
それとか、「こんなボロ屋」という言葉が何度か出てくるが、家は古びているわけではないし、薄汚れているわけでもなく、着ているものにしても、俳優が撮影現場に着てきた服をそのまま着ているのではと思うような服装である。
そこらがハリウッド映画と比べて、いかにも安っぽい。


ヨゼフ・フィルスマイアー『ヒマラヤ 運命の山』は、ラインホルト・メスナー『裸の山』が原作。
世界屈指のナンガ・パルバット、ルパール壁にメスナーたちがドイツ登山隊が挑戦するわけだが、映画ではいとも簡単に登頂したように感じる。
ところが、メスナー兄弟はそれだけ余裕で登頂したのに、なぜか登ってきたルートを戻らない。
仕方なく、未知の谷をザイルもなく、飲まず食わずで歩き続ける。
だけど、『運命を分けたザイル』や『アイガー北壁』のような痛さは感じない。
事実を基にしていても、観客を納得させるための嘘が映画には必要だと思う。

『素晴らしき哉、人生!』に主人公が生まれなかった世界のシーンがあって、これはすごい。
『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』の未来世界はこれからアイデアをいただいたのでは、という気がする。
映画は想像力と創造力。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする