三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

原発依存とアフリカの援助依存と金融危機

2011年07月09日 | 日記

玄海原発の再稼働は白紙に戻ったらしい。
もっとも、玄海町の岸本英雄町長や町議の多くは運転再開を認めていたのだから、停止のままということはないと思う。

 玄海2、3号機を巡って岸本町長はこれまでも、地元経済・雇用への影響を考慮して運転再開に前向きな見解を繰り返してきた。福島第1原発事故から1カ月後の4月中旬に「電源車の配備などの津波対策で外部電源の確保が確認できた」として、原発の安全性確保にいち早く「お墨付き」を与えるなど、全国の原発立地自治体の首長の中でも「再稼働積極派」に挙げられる。
 また、「玄海原発は九州の電力の3割を賄っており役割は重大。早期運転再開で夏場の電力需要に備えるべきだ」とも主張。町議の多数も再稼働を容認している。
(毎日新聞7月4日)

読売新聞は7月6日の社説で「玄海原発 再開へ首相自ら説得にあたれ」と訴えている。
「政府の指示で、九州電力は地震や津波による電源喪失など、過酷事故への安全対策を実施した」
だから大丈夫と言いたいのだろう。

もっとも、安全性が確保されたとか、電力の供給のために原発が必要だというのはタテマエで、「町の雇用や経済の影響も考えざるを得ない」というのがホンネのようである。

 ◇町は原発マネー頼み
 玄海町が原発再稼働を容認せざるを得ない背景には、財政面での原発依存もある。同町の今年度当初予算(57億円)の歳入で、原発関連は6割以上を占める。仮に玄海原発2、3号機が来年2月まで再稼働しないと、佐賀県に入る核燃料税19億6900万円のうち同町分の最大1億5000万円が失われるほか、2年後には一部の交付金も減額される。
 原発の立地自治体には、電源3法交付金や原発の固定資産税、核燃料価格をもとに課税する地方税の「核燃料税」など巨額の財源が与えられる。
 交付金は「電源開発促進税法」に基づいて電気代から徴収され、「特別会計に関する法律」と「発電用施設周辺地域整備法」を通じて、原発、水力などの電源立地地域のインフラ整備や福祉などに活用される。徴収額は標準家庭なら月110円程度に相当し、11年度予算での税収は3460億円(見込み)。うち半分程度が立地地域などに配分される。原発1基を誘致すれば、50年間の交付金収入だけで1359億円にのぼる。資源エネルギー庁によると、出力135万キロワットの原発なら、立地地域は運転開始まで10年間で481億円、その後40年間で878億円の交付金収入が得られる。ほかに固定資産税収入なども入る。
 玄海原発1号機が運転を開始した75年度以来、同町には昨年度までの36年間で、総額約265億円の交付金、補助金が交付されてきた。今年度も当初予算段階で総額約15億円の交付を見込むうえ、原発の固定資産税約20億円を計上している。
 豊富な「原発マネー」の多くは町民会館や産業会館などの公共施設や道路、下水道などの社会基盤整備に充てられた。町の就労者の6分の1が原発関連の仕事に従事するなど、雇用や地域経済の面でも依存度が高い。
 ただ、こうして整備したハコモノなどは、維持費がその後も続く一方、原発の固定資産税収は先細りし、将来的に町財政を圧迫する危険をはらんでいる。
毎日新聞7月5日

たまたまフランク・ヴェスターマン『エルネグロと僕』という本を読んでいて、アフリカの多くの国が援助依存症になっているという指摘があり、原発依存症と同じじゃないかと思った。
ヴェスターマンはオランダ人、開発援助の仕事をしながらジャーナリストをしている。

「南アフリカを除いて、サハラ以南のすべての国が脱植民地以来ひたすら退歩の道をたどってきた。四半世紀の間、懸命の開発援助がおこなわれたにもかかわらずだ」
ギニアビサウの国民総生産は半分以上が援助資金である。
「ギニアビサウにいる友達を訪ねたとき、ギニア人が援助依存症にかかっていて、嫌々ながらも西側諸国からの点滴に頼るほかない民族に成り下がっていることに気づかされた」
ビルや橋を建設するような援助だけがなされてきたわけではない。
「あらゆる試みがあった。大がかりな援助に小規模な援助、計画的な援助、プロジェクトごとの援助もあれば参加型の援助もあり、技術援助に社会的援助もおこなわれた」
「開発プロジェクトが10年ごとにその時々の流行に左右されるのを僕は苦々しく思ってきた。あるときの合い言葉は自給自足、かと思えば今度は持続可能は発展、次は男女同権という具合だ」

きめ細かい援助をしても、結果はどうかというと、
「援助はなにひとつ実らなかった。援助による恩恵より、援助に伴う腐敗、援助によって社会が分離する作用の方が強く働いたのではないかと考えたくなる」
外国の援助は国を分断するらしい。
「互いに縄張りを侵すことのないように、外国人専門家連中は国をいくつかの区域に分割してしまった。その結果、一九世紀にあった列強によるアフリカ分割の再現さながらに、フランス、オランダ、スウェーデンなどの勢力圏が目に見えない網の目のように市町村の境を越えて張りめぐらされている」
そうして、独裁者たち、そして援助国の政治家、企業などがふところをふくらませているわけである。
この構造は日本の原発と同じではないかと思う。

こんな記事があった。
「原発依存は日本の現実、補助金頼りの構造」米紙
 5月31日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、福島第1原発事故で原発の安全性に深刻な懸念が生じた後も、日本で草の根の大規模な反対運動が起きないのは、政府や電気事業者から支出される補助金に依存する地域構造があるからだと分析する長文の記事を掲載した。
 「日本の原発依存」という見出しの記事は、補助金や雇用が日本の原発を「揺るぎない現実」にしていると報道。
 松江市の島根原発を取り上げ「40年以上前に立地の話が持ち上がった時は、地元の漁村が猛反対し、中国電力は計画断念寸前に追い込まれた」と指摘。しかしその約20年後には「漁協に押された地元議会が3号機の新規建設の請願を可決した」とし、背景に公共工事による立派な施設建設や潤沢な補助金があったと伝えた。
 同紙は、補助金への依存により、漁業などの地場産業が衰退していくと報道。
共同6月1日

原発ができることで地元の自治体に金が入り、住民は職を得ることができる。
しかし、補助金は麻薬みたいなもので、補助金で作ったハコモノの維持管理のためには金が必要となり、新たな原発を誘致せざるを得ない。
また、地場産業は衰退するから、就職先としての原発が不可欠になるという悪循環。
もちろん、政治家や企業、原子力村の住民に金が入ることは言うまでもない。

『エルネグロと僕』に、
「開発援助の動機の根本には人種主義があるのではないだろうか。他者に「われわれ」の技術、「われわれ」の生活様式や信仰を教えようという考え方の前提には、「われわれ」の方が知識があり、白人の文明が非白人ものより優っているという見方がある」とある。
欧米とアフリカ、東京など都会と過疎地という関係も似ている。

「援助には必ず毒が入っている、時には自己利益という毒がたっぷりと」
50年代にオランダが熱帯向けの開発援助要員の派遣を決定した理由。
「第一に、インドネシアから追放されたかつての入植者の受け入れ先を確保するため、第二に「ソ連陣営が低開発国を贈り物で取り込むのに先手を」打つため」
1954年の政府報告に一言一句違わずに記されているそうだ。
原発も、都会や原子力村住民の自己利益という毒が生み出したものだと言える。

そして、チャールズ・ファーガソン『インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実』というドキュメンタリー映画を見て、金融危機と原発問題が起きた原因は同じ構造だと思った。
サブプライムローンやリーマン・ショックなどによる金融危機は、銀行や証券会社、格付け会社、経済学者、官僚たちが自らの金儲けのために好き放題のことをしたことが原因である。
彼らは巨額の報酬を得たが、会社をつぶした責任を誰も取らず、巨額の損失は国と一般市民に負担を負わせている。
おまけに、戦犯御用学者や企業トップがオバマ政権に登用されているのだから、オバマ大統領もブッシュのように金持ちの味方なのだろう。
大学の教授たちは学問一筋、世間のことは疎くてよく知らない、金儲けのことなんて考えたこともない、という顔をしているのだから、人は信用できない。
『インサイド・ジョブ』を見ながら、こいつらバチが当たれ!と思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする