三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

裁判員制度を考える9 裁判の拙速化

2008年11月19日 | 日記

仕事が忙しい人、育児や介護などで家族の面倒を見なければいけない人などは何日も裁判に関わってはおれない。
公判は何日かかるものだろうか。
最高裁のHPにはこうある。
Q 裁判員になったら,何日くらい裁判所に行かなければならないのですか。
A 約7割の事件が3日以内で終わると見込まれています。事件によっては,もう少し時間のかかるものもあります(約2割の事件が5日以内,約1割の事件が5日超)」

裁判員の選任、公判審理、評議を含めて約7割が3日以内に、約9割が5日以内に終了する予定ということである。

裁判員になった人の日常生活に支障をきたさないために、審理が連日行われることになるが、その日数は3、4日となる可能性が高い。
ところが、2006年に判決が出た裁判員制度対象事件で、被告が自白している事件ではすら開廷日数は3回以内が約4割、6回以内が約8割。

平成18年「裁判員制度対象事件開廷回数」
 3回以内 43.3%
 4回以上6回以内 33.6%
 7回以上10回以内 13.8%
 11回以上20回以内 7.3%
 20回超 1.9%

否認している事件では長くなる。
平成17年 平均公判回数
 自白事件の場合 4.0回
 否認事件の場合 9.4回
 平均         5.8回

つまり、裁判員制度になると、今までよりも公判の回数が少なくなるわけだ。
西野喜一氏はこう言う。
「いままで平均十回かかっていた公判を仮に三回で終えるとしたら、それはとんでもない手抜き真理ということですが、そういう粗雑な審理では誤判、冤罪は一層増えるでしょう。真犯人が不当に処罰を免れた結果、被害者が泣くというのももちろん一種の誤判になります」

こういう問題もある。
裁判員が何らかの事情で出廷できなくなった時には、補充裁判員が裁判員となる。
裁判員がどんどん欠けて、補充裁判員も使い切ってしまって裁判員に欠員が生じた場合はどうするのか。
新しい裁判員を選んだとして、その裁判員は審理の経緯を知らないまま審理を続けるのか、それとも裁判を一からやり直すのか。

あるいは、一人の被告が複数の事件を起こした場合はどうなるのか。
審理の対象となる事件が複数の場合には、事件ごとに裁判員もチーム制にしようという部分判決という制度が行われることになる。
A事件とB事件の二つの場合、A事件のAチームは被告人が有罪か無罪かだけを判定する判断をする。
BチームはB事件の有罪・無罪の判定と、Aチームの部分判決の判断を受け継いだうえので全体の量刑を決める。
裁判官は両方の事件の審理に立ち会う。
Bチームの裁判員はA事件の証拠は見ずに、Aチームの部分判決だとを資料として全体の刑を決める。
もしAチームがA事件について有罪と判定し、BチームはB事件については無罪と判定した場合、BチームはA事件の証拠を見ていないのに、A事件だけの量刑をすることになる。

「裁判員の負担といってもたいしたことはないのだ、せいぜい数日のことなのだ、と国民をだましつづけながら公判自体を圧縮する方法を探ってきたものの、重大事件が複合している場合の裁判は公判はどうやって数回に収めることは無理であることが明らかになった」(西野喜一『裁判員制度の正体』)
というので、こんな苦しまぎれの方法が考え出されたというわけである。
「世界中どこを探しても、こんな呆れるような刑事裁判をやっている国はありません」
と西野喜一氏は言う。
「要するに、この裁判員制度はその全編が、手間ひまはかかっても正しい判決になるようにしようということではなく、とにかく素人でもつとまる手抜きの裁判をしようという発想であふれているのです」
「国民の負担を軽くするためと称して、裁判員制度の対象となる重大事件については、裁判の結果が適正妥当なものになることはもう事実上あきらめてしまい、とにかく国民参加の形だけは整えようとしているのです」

と手厳しい。

アメリカの陪審員制度ではどうなのだろうか。
高山俊吉『裁判員制度はいらない』に、O・J・シンプソンとマイケル・ジャクソンの裁判例について書いてある。

O・J・シンプソンが前妻とウェイターを殺したとして起訴された裁判では、24人の陪審員はホテルに隔離され、審理は265日続いた。
証人は121人。
評決は無罪だった。
陪審員の説明は「無実とは言っていない。検察の立証に合理的疑問が残るのだ」というもの。

マイケル・ジャクソンが少年に対するわいせつ行為で起訴された事件では、3ヵ月半の間に140人の証言を聞き、7日間におよぶ評議の結果、「合理的な疑いが残る」として無罪。

どちらの裁判でも、陪審員は何ヵ月も仕事や家庭から離れ、テレビ、ラジオを視聴や新聞購読や本屋行きも禁止され、裁判に専念している。
そして、推定無罪の原則によって無罪判決を出している。
はたして日本でも裁判員を長期間拘束することができるか、裁判員は「疑わしきは罰せず」の原則を守ることができるか、疑問である。

そもそも、法廷や評議の場で裁判官が説明したからといって、素人の裁判員が裁判や法律についてどれほど理解するだろうか。
スーパーでパートをしている人の話だと、まず300ページぐらいあるマニュアルをテキストに2日間の研修があり、挨拶の仕方からレジの打ち方、その他諸々を教わって、それから仕事に入ったという。
パートですらと言ったら怒られるだろうが、仕事をするということはそういうものだと思う。
裁判とは何か、どのように審理が進められ、判決はどうやって下すのか、その説明を素人が聞いて、大体こういうことかと理解できるようになるまで、最低でも1日はかかるだろう。
公判が3日間では、わけのわからないうちに終わってしまうのではないかと思う。

コメント (16)
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