百聞は一見にしかずというが、知ることによって今まで自分がいかに無知だったかと気づかされる。
たとえば、ハンセン病療養所に初めて行った時のこと。
それまでハンセン病元患者さんへの偏見は自分にはないと思っていたが、実は根深い差別の心があることを思い知らされた。
そのことを某氏に話したら、某氏も自分もそうだった、療養所から帰ると、すぐに針で腕を刺し、痛いので安心したと話してくれた。
ハンセン病は知覚麻痺を起こすので痛みを感じなくなることがある。
それで針を刺してみたというわけである。
それとか、少年院に見学に行き、少年たちがいわゆる非行少年のようには見えなかったことに驚いたことがある。
少年たちの多くは劣悪な環境に育ったという説明を聞いていたけれど、偏見があったわけだ。
少年たちは生まれつきのワルではない、たまたまなんだとあらためて思った。
死刑や死刑囚についても知らないことが多い。
合田士郎『続そして、死刑は執行された』本に「読者の声」(正編を読んだ読者からのお便り)が載っていて、その中に高校生のこういう声があった。
『そして、死刑は執行された』正・続の著者である合田士郎氏は強盗殺人で死刑を求刑され、無期懲役の判決を受けた人である。
千葉刑務所から宮城刑務所へ移り、そして1類(1000名いる懲役囚の中で20名しかいない模範囚)になって、死刑囚監房掃夫になる。
死刑囚の世話をし、執行があれば遺体を洗い清めて棺に納め、処刑場を掃除する。
帝銀事件の平沢貞通、島田事件の赤堀政夫、小松川女子高生事件の死刑囚たちといった人のなまの姿が語られる。
どうして死刑囚は脱獄しないのか。
それは心の中にある高い塀のせいだと合田士郎氏は言う。
日本人はあきらめがいいから脱獄が少ないと言われているが、そればかりではないらしい。
平沢貞道、牟礼事件の佐藤誠たちのように、刑務所も冤罪だと承知していると思われる死刑囚が何人もいる。
合田士郎氏はそうした死刑囚と身近に接しているからこそ、死刑に反対する気持ちが起きてくる。
つくづく「なんでやねん?」と思う。平静な気持で罪を悔い、深く反省している健康な者に、何年間も死の恐怖を与えた末、「死ぬのは嫌だ、まだ死にたくない、助けてくれ!」と泣き叫ぶ者を、刑場に引きずって行き殺してしまう。
死刑囚は執行の際にどういう状態になるのだろうか。
そして、このように書く。