田中公明『活仏たちのチベット』によると、妻帯する活仏がいるそうです。
『ブータン仏教から見た日本仏教』で今枝由郎さんは日本仏教における僧侶の妻帯を問題にしていますが、僧侶の妻帯は日本だけではなく、還俗するとはいえチベット仏教、しかも活仏が妻帯しているとは驚きです。
活仏が還俗するということは、仏から人間になるということなんでしょうが、仏の時よりも人間になったほうがより活躍するとは、なんだか奇妙な話ではあります。
今枝さんは日本の僧侶についてこのように批判しています。
今枝さんはブータンのロポン・ペマラ師について学ばれました。
ロポン・ペマラ師は質問を受けると、「すべて記憶から、正確無比によどみなく答える」方で、
と最高の敬意を捧げています。
教えによって人間が生み出されるからこそ、その教えが真実だと証しされるわけで、人間が生まれてこない教え(日本仏教)が真実だと言えるのか、という、耳が痛くなる指摘です。
私にしたって妻や子供に教えを伝えることができません。
そりゃまあ、突然怒鳴りだしたてガミガミ言ったり、酒を飲んではグダグダ文句をたれる私の姿を見ていたら、仏教がどうのこうのといくら言っても、聞く気が起きないものもっともです。
ある人から「救われていない人は人を救うことはできないということです」と、きついことを言われたことがありますが、ほんとその通りだと思います。
とはいうものの、ロポン・ペマラ師のように学識が深く、徳行が高い人だけが仏教を伝えることができるのだったら、教えが広まることはないでしょう。
河口慧海や西川一三たちのチベット旅行記を読むと、僧侶がみなロポン・ペマラ師のような人ばかりではないことがわかります。
ケンカばかりしている僧侶、同性愛にはげむ僧侶も珍しくないし、宗派の内紛は東本願寺どころではない派手さです。
でも、教義をろくろく理解していないごく普通の信者やボンクラ僧侶が大勢いて、そういう裾野の広がりからロポン・ペマラ師のような方が生まれてくるんだと思います。
その意味で、日本の仏教が衰退している理由の第一は何といっても坊さんの怠慢にありますが、今枝さんのお父さんのような方がいなくなったということが大きいです。
今枝さんのお父さんは毎朝『正信偈』のお勤めをされていたそうです。
『正信偈』に何が書かれているかわからず、南無阿弥陀仏がどういう意味かを知らない、だけども念仏を称え、お勤めを欠かさない人が以前は大勢いました。
そうした人たちによって本当に大切なこと(本尊)が受け継がれてきたのです。
ところが、仏教を底辺で支えていたそういう名もなき人たちがいなくなった。
それが日本仏教の一番の問題だと思います。
もう一つ批判を。
ロポン・ペマラ師は次のように説かれています。
悪霊の祟りや過去世の悪業で病気になると、今枝さんも信じているんでしょうか。