三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

森本忠夫『特攻』

2006年01月05日 | 戦争

森本忠夫『特攻』によると、最初の特攻に際して軍令総長及川大将は、

実行にあたっては、あくまで本人の自由意思によってやってください。けっして命令してくださるなよ。

と言ったそうだが、人選は最初から決まっていた。
そして、最初の特攻隊の指揮官である関大尉は、

日本もおしまいだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて。ぼくなら体当たりせずとも敵母艦の飛行甲板に50番を命中させる自信がある。

と言っている。

パイロットは選ばれた優秀な人ばかりだし、アメリカは予想もしていなかったので、最初のうちは多大な戦果を上げた。

しかし、アメリカはすぐさま対策を考え、特攻は意味がなくなってしまった。
にもかかわらず特攻を続けたのは、特攻で死ぬことが目的となったからである。

ある特攻作戦で桟橋に特攻を命令された隊長は、「いくらなんでも桟橋にぶつかるのはいやだ。目標を輸送船に変えてくれ」と頼んだが、中島飛行長は、

文句を言うんじゃない。特攻の目的は戦果にあるんじゃない。死ぬことにあるんだ。

と怒鳴りつけたいう。

特攻の生みの親である大西中将は特別攻撃隊員への訓示で、

皆はすでに神である。神であるから欲望はないであろう。

と言い、しかし体当たりが無駄ではなかったことを知りたいだろうが、死ぬのだから知ることはできない、

だが、自分はこれを見とどけて、必ず上聞に達するようにするから、安心して行ってくれ。

と言っている。

阿川弘之『雲の墓標』に、特攻に行ったが、爆弾を敵艦に命中させ、所期の目的を達したので帰還したというエピソードが出てくる。
特攻に行った者がみんな死んでしまったわけではないということを、阿川弘之は強調したかったのだろう。
はたしてそんなことが実際にあったのか、仮にあったとしても、そのパイロットはどういう扱いを受けたのか。

特攻という事実をどう受け止めるか。
英霊たちのおかげと感謝するか、それとも犬死だった、二度と繰り返さないと誓うか。
森本忠夫氏の結論はこういうことだと思う。

この段階(特攻を作戦を決定する段階)の日本軍には、最早、作戦と呼ばれるに値する作戦は存在しなかった。特攻作戦を発動しこれを全軍特攻にまでエスカレートさせて行った軍中央と現地の指揮官達や参謀達は、日本の若者に死を強制し、死を自己目的とする虚無主義なファナティシズムの心的状況に陥ることで、作戦そのものを放棄し、同時に彼等が戦争指導者であり、指揮官であり、参謀であることを放棄していた。

私も賛成です。
『特攻』を原作とした映画を作ってほしいものです。

コメント (2)
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