三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

西村肇『日本破産を生き残ろう』と邪命説法

2005年04月12日 | 仏教

西村肇『日本破産を生き残ろう』は日本経済の破綻について書かれた本かと思ったらそうではなく、主に教育問題について書かれている。
西村肇氏は東大工学部の元教授であるが、はっきりとものを言う人らしい。
たとえば、田中さんのノーベル賞受賞はおかしいと、ずけずけ書いている。
田中さんには申し訳ないが、なるほどもっともと思いました。
昭和天皇の戦争責任についてもチクッと書いているが、ノーベル賞にしろ、権威が嫌いなのかもしれないし、まして付和雷同する気は全くないように感じる。
こういう人は日本の社会では嫌われるんでしょうね。

educationとは本来「外へ引き出す」という意味で、福沢諭吉が「教育」と訳したのは間違い。

教師が教えたいことを教える

ではなく、

学生が習いたいことを教える

これがeducationということだという。
なるほど。
子育ても同じなんでしょうね。

話は飛ぶが、某氏に頼まれて、古田和弘先生の『観経疏』講義をテープ起こししている。
10数年にわたる講義をテープ起こしして、本にしようということらしい。
もちろん全部を私がやるわけではなく、大勢で分担してである。
古田和弘先生の話は巧みな話術と幅広い話題、そして余談、雑談が相まって飽きさせることなく、聞くぶんには大変結構なのだが、テープ起こしをしていると早く終わってくれと思う。(^_^;)
特に雑談の部分。
本にするとしたら、ここは省かれるんだろうなと思いながら、しかし私が勝手に省略するわけにもいかない。

お話の中に邪命説法についての説明があり、そこを引用してみます。

説法に対する警戒心はインドの大乗仏教ではものすごく強烈です。説法すればいいというものではない。自分の聞いたこと、学んだことを法として伝えることは非常に大切なことなんですが、しかしそれは警戒しなければならない。意識する、しないにかかわらず、邪命説法になるおそれがあるので、説法については細心の注意を払わなければならない、ということを警戒しております。

では邪命説法とは何か。
さらに引用します。

邪命説法とはよこしまな生活の説法ということですが、これはどういうことかというと、たとえば名誉を得るために説法するとか、あるいは物質的なものを得ようとするために説法するとかいうことです。

私は話をする時に、いい話だとほめてもらいたいと常に思う。
あるいは、上に立って間違いを糺し、教え導こうという傲慢な気持ちがある。
あるいは、自分でも何をしゃべっているかわからない時がある。
あるいは、同じ話をしてしまうことがある。etc
これらは邪命説法でしょうね、自分のために話すわけだから。

また話は飛んで、吉川英治が軍隊の慰問に行って講演した時のこと、炎天下の野外に集まった何百人もの兵隊が聴衆である。

マイクなどというものはない。
吉川英治はモゴモゴと小さな声でしゃべるそうで、決して上手な話し手ではない。
それにもかかわらず、兵隊たちは話を聞き逃すまいと、一生懸命に耳を傾けていたそうだ。
どのように話すかという技術も大切だが、何を伝えたいかということがもっと大切なんだと思う。

吉川英治の座右の銘は「我以外皆師」である。
普通の人がこの言葉を使うとうさんくさい感じがするが、吉川英治はeducationの気持ちで話をしていたのかもしれない。

コメント (6)
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