西村肇『日本破産を生き残ろう』は日本経済の破綻について書かれた本かと思ったらそうではなく、主に教育問題について書かれている。
西村肇氏は東大工学部の元教授であるが、はっきりとものを言う人らしい。
たとえば、田中さんのノーベル賞受賞はおかしいと、ずけずけ書いている。
田中さんには申し訳ないが、なるほどもっともと思いました。
昭和天皇の戦争責任についてもチクッと書いているが、ノーベル賞にしろ、権威が嫌いなのかもしれないし、まして付和雷同する気は全くないように感じる。
こういう人は日本の社会では嫌われるんでしょうね。
educationとは本来「外へ引き出す」という意味で、福沢諭吉が「教育」と訳したのは間違い。
ではなく、
これがeducationということだという。
なるほど。
子育ても同じなんでしょうね。
話は飛ぶが、某氏に頼まれて、古田和弘先生の『観経疏』講義をテープ起こししている。
10数年にわたる講義をテープ起こしして、本にしようということらしい。
もちろん全部を私がやるわけではなく、大勢で分担してである。
古田和弘先生の話は巧みな話術と幅広い話題、そして余談、雑談が相まって飽きさせることなく、聞くぶんには大変結構なのだが、テープ起こしをしていると早く終わってくれと思う。(^_^;)
特に雑談の部分。
本にするとしたら、ここは省かれるんだろうなと思いながら、しかし私が勝手に省略するわけにもいかない。
お話の中に邪命説法についての説明があり、そこを引用してみます。
では邪命説法とは何か。
さらに引用します。
私は話をする時に、いい話だとほめてもらいたいと常に思う。
あるいは、上に立って間違いを糺し、教え導こうという傲慢な気持ちがある。
あるいは、自分でも何をしゃべっているかわからない時がある。
あるいは、同じ話をしてしまうことがある。etc
これらは邪命説法でしょうね、自分のために話すわけだから。
また話は飛んで、吉川英治が軍隊の慰問に行って講演した時のこと、炎天下の野外に集まった何百人もの兵隊が聴衆である。
マイクなどというものはない。
吉川英治はモゴモゴと小さな声でしゃべるそうで、決して上手な話し手ではない。
それにもかかわらず、兵隊たちは話を聞き逃すまいと、一生懸命に耳を傾けていたそうだ。
どのように話すかという技術も大切だが、何を伝えたいかということがもっと大切なんだと思う。
吉川英治の座右の銘は「我以外皆師」である。
普通の人がこの言葉を使うとうさんくさい感じがするが、吉川英治はeducationの気持ちで話をしていたのかもしれない。