中学を卒業した永山則夫は上京して渋谷のフルーツパーラーに就職する。
しかし、長続きしない。
牛乳屋で住み込みで働き、定時制高校に通ったことは3回ある。
10~20回転職しており、一番長く続いたのが5か月。
しかし、長続きしない。
牛乳屋で住み込みで働き、定時制高校に通ったことは3回ある。
10~20回転職しており、一番長く続いたのが5か月。
一生懸命働き、高校では生徒会を熱心にする。
しかし、則夫は家族からはかまわれず、小中学校にほとんど行っていないので、世間の常識を何も知らない。
友達を作る知恵も経験もなく、人間関係の作り方も知らない。
小さなミスをすればクビになるとビクビクし、よいことも悪いほうに考え、自分を責める。
「自分が行ったら話が止まる」「自分の悪口を言っている」などと被害妄想や猜疑心をつのらせる。
人を信じることや甘えることができないので、悩みを誰にも相談せずに抱え込む。
そして、孤立して衝動的に身ひとつで職場から逃げ出す、窃盗や密航をして捕まるというパターン。
石川義博医師は「人間不信、そして不安、それが異常なレベルで強いと感じました」と語っている。
職場の同僚や兄たちから馬鹿と言われると、自分も姉のように「キチガイ」になるのではと脅えた。
自殺を考えたり実行したのは19回。
昭和43年8月、米軍基地の住宅からピストルを盗む。
10月に東京と京都で警備員を射ち殺してしまう。
網走で死のうと思い、北海道に行くが、函館と名古屋でタクシーの運転手を射殺した。
なぜか。
石川義博医師の鑑定書には「何かに対して強いうらみが心の中でうずまいてどうしようもないと、まず強いうらみを感じた」とある。
堀川惠子さんは「永山が怨んだ相手とは「兄たち」である」と書いています。
永山則夫も石川義博医師に「兄貴に対する当てつけみたいなのがあったんだ」と語っている。
昭和54年、東京地裁は永山則夫に死刑判決を下す。
石川鑑定について、判断の材料となる前提を間違えており重大な疑問があるとして一顧だにしなかった。
二審判決は無期懲役。
最高裁判決でも、石川義博医師による精神鑑定書は顧みられなかった。
地裁の判決から34年目、一審で右陪席だった豊吉彬元裁判官が、石川鑑定が採用されなかった事情について証言している。
合議で三人の裁判官が話しをするわけなんですが、石川鑑定を読んで驚きましてね。「これじゃ極刑、無理じゃねえか」と言っていた人もいたほどでした。わたし自身あのような立派な精神鑑定書は見たこともなくて、その後の自分の裁判でも何かと参考にさせてもらいました。だけど、当時の裁判官には心理学的な知識もありませんし、どこか「所詮は医者が言っていることだから」というような雰囲気がありましたよね。
裁判の結論は決まっていましたから、排斥するより仕方がない、そう、仕方がないということになってしまうんです。ある結論を導き出すために、ある証拠を否定しなくてはならない。そういう時、良いところは言わないで、悪いところを見つけて、それで敢えてひっくり返すと、そういうことでしたね。それは今だって変わらないんじゃないんですか?
裁判の結論は決まっていましたから、排斥するより仕方がない、そう、仕方がないということになってしまうんです。ある結論を導き出すために、ある証拠を否定しなくてはならない。そういう時、良いところは言わないで、悪いところを見つけて、それで敢えてひっくり返すと、そういうことでしたね。それは今だって変わらないんじゃないんですか?
そして豊吉彬さんは、最近の裁判員裁判を見ていると、まるで被害者の仇討ちの場になっているようで危惧を感じると話している。
堀川惠子『永山則夫』には、永山則夫の兄弟と姪についても書かれています。
長女(昭和5年生)は精神病院を入退院を繰り返す。
1992年(平成4年)に死亡(62歳)。
長男(昭和7年生)は高校を卒業して網走で就職する。
その後、栃木でセールスマンをする。
結婚して婿養子に入る。
住宅会社の支店長をしていたが辞め、月賦詐欺で逮捕、実刑判決を受けた。
結婚して婿養子に入る。
住宅会社の支店長をしていたが辞め、月賦詐欺で逮捕、実刑判決を受けた。
次女(昭和10年生)は高校を卒業すると家を出て看護婦になる。
結婚して名古屋に引っ越した。
三女(昭和15年生)は中学を卒業し、実家の真向かいの美容院で住み込んで働く。
2年後に美容師の資格を取ると、東京の美容院に勤めた。
実家に帰ったことも、手紙や電話をしたこともない。
結婚して退職、長男が生まれるが、数年後に離婚、ホステスなどをする。
次男(昭和17年生)は、中学を卒業して東京で就職。
運転手をするが事故を起こして、長男が勤める会社でセールスマンをする。
結婚して婿養子になり、息子が生まれるが離婚。
水商売の女と東京に出て、女の稼ぎで暮らし、ギャンブルばかりする。
昭和59年、路上で倒れて病院に運ばれるが死亡(42歳)。
三男(昭和20年生)は中学を卒業して東京で働きながら定時制高校に通う。
法律専門の出版社に就職。
裁判後に退職、妻の姓に変えた。
四女(昭和27年生)は針子、看護師見習いをし、未婚で出産。
ホステスなどするが、心の病で入院。
姪(昭和27年生)は結婚するが離婚。
次男に相談したら、置屋に売られた。
1993年、母ヨシ死亡(83歳)。
1997年、則夫死亡(48歳)。
非行というのは、親のひどい仕打ち等にこれ以上がまんできなくなった少年が、やむにやまれず行動で示すことだ。自分を助けてほしいとの切実な叫びであり、救いを求めるシグナルでもあるのだ。(石川義博『少年非行の矯正と治療』)
みんな被害者だと思いました。