かくれ佛教

2011-03-30 16:05:52 | 日記
鶴見俊輔著  ダイアモンド社刊

本書は「この本は、私が書きたくて書いた、いわば終点にあたる」という思いで書いた本。発刊日(2010年)が、ちょうど著者の米寿(88歳)にあたる。
著者が宗教に造詣が深かったことは十分に承知していたが、「自ら、私は《かくれキリシタン》にちなんでいうなら《かくれ佛教徒》といっていい」と言い切ったのには、少なからぬ衝撃を受けた。著者はハーバード大学哲学科を卒業して人だが、在学中にハーバード神学校にも通った人でもある。そこではキリスト教が唯一の宗教だとは教えず、さまざまなアプローチを教えられたという(父・母・妹・弟はキリスト教徒だつたにも拘わらず、キリスト教徒にはならなかった)。
そして帰国した日本では、マルクス主義が吹き荒れていたが、一歩身を引いていた人だった(つまり、マルキストにもならなかつた)。
但し、《かくれ仏教徒》だとは言っても特定の宗派の門徒だとは言っていない。時に、親鸞や法然、一休や良寛にも言及しているが、そのどれでもない。ここが著者らしいのだが、いや著者ならではと言うべきか、人類そのものが誕生した時に持っていた自然への畏れ、そして日本に古来からあったアミニズム、神道、佛教、それらが渾然一体となったものを「佛教」だと言っているのだ(と思う)。
おそらく著者が知の巨人だから言えることなのだろう。ここまで書いてきて、反省している。浅学の私ではとても要約したとは言えない。もう何度読み返したら「正く……」と言えるのだろうか。まっ、米寿までには、時間はたっぷりあるが、宝の持ち腐れということもあるし…。

コメントを投稿