ディア・グロリア -戦争で投函されなかった250通りの手紙ー

2011-12-11 16:17:24 | 日記
木村太郎著  新潮社刊

帰国子女にも、帰国のタイミングというものがあるのだろう。帰国直後の横浜港で「私が船を降りた時、一人の男が間違いなく悪意をもって私を蹴った」という一行がある。無理もない。主人公一行が日本に帰国した時は、第二次世界大戦から二年後(1941)で「贅沢は敵だ」が日本国民の共通標語だったからだ。
主人公は、元NHKのニュースキャスターの木村太郎氏の姉上。6歳で父親の仕事の関係で渡米し、7年間そこで教育を受けた人。つまり英語が母語であり、アイデンティティーも米国人だった。本書は彼女の没後発見されたアメリカの同級生に宛てた「投函されなかった手紙(投函できる筈はなかった。投函したらスパイ罪で投獄されていただろう)」を元に木村太郎氏が再構成したもの。
彼女は終生、アメリカに好感を持ち続けた。手紙も綺麗な筆記体で書かれており、途中からもう英語は使わないと言いながら、日本語が自由にならないもどかしさから途中から英語になっているほどである。
冒頭にもどる。同じような状況下で帰国した、哲学者の鶴見俊輔氏は二度とアメリカに行くことを拒んだ(詳しくは『日米交換船』新潮社刊を参照)。敗戦後ではあるが、チェコスロバキアから帰国した米原万理は、日本の教育制度に義憤を憶え亡くなるまで抗議の声を挙げ続けた。
つまり、どのような状況下に帰国したかで、その心理の葛藤は違ってくる。本書はそこの所を考えさせる本だ。と同時に、アイデンティティーがどのように形成されるものなのか、外国語を話せれば国際人なのか、本人の生まれた国の歴史も知らず他国の人々と対等に意思の疎通が測れるものなのか、そういった様々な事を考えさせられた。 



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