老年の価値

2012-09-10 08:08:42 | 日記

ヘルマン・ヘッセ著  朝日出版社刊

ヘルマン・ヘッセを読むのは半世紀振りになる。全集を貪り読んだのは高校生の頃だと思う。モスグリーンの洒落た本だった。出版社は忘れたが(多分新潮社版だったと記憶しているが定かではない)、その頃の私の蔵書では一番大人ぽかった。勿論十代だったから、本書のようなタイトルの括り方だったならば読むことはなかった筈だ。今回思わず手に取ったのは、タイトル通り私も「老年」に近くなり、果たして私には「価値」があるのか? 少々不安になったからに他ならない。
文章と言い、詩といい、やはりいいですねぇ。但し、詩を読んだのは何十年振りだろう。若い時より行間が読めるようになったことが、進歩といえば進歩か? もちろん、翻訳者・岡田朝雄が素晴らしいのですが。因みに岡田朝雄は前々回読んだ『大人になった虫とり少年』に登場した一人、本業はドイツ文学者だったのです。もうひとつ、数ページ置きに配置されている写真が全体を和ませているのだが、撮影者はヘッセの三男・マルティーン・ヘッセ。身内の人だからの優しさに満ちた写真。
本書を読んで尽々思ったのは、老年は何時か次世代に追い抜かれていくものなのだが、そこで愚痴を言ったり駄々を捏ねるのではなく、「老い」の思索を深めて行くというヘッセの姿勢である。曰く、「老年が青春を演じようとするときのみ、老年は卑しいものとなるのです(日本の諺で言う、年寄りの冷や水ですかね?)」。なかなか、誰にでも出来ることではないが、よく考えればそれが出来るだけの経験は誰もが持っているわけで、その知恵を深堀りして行けば、人々に尊敬され卑屈にならないで済むはずなのだ。つまり、「経験を円熟した叡智」に変えることが大切なのだ。
ということで、本当に半世紀振りでヘルマン・ヘッセに酔いました。


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