最近良く観ている、「午前十時の映画祭Part2」。今回は「大いなる西部」を観た。
「ビッグマディ」と呼ばれる水源地を巡って、地元の二大勢力であるテリル家とヘネシー家が激しく対立している。きっかけさえあれば、些細なことで相手に報復と復讐を吹っかける両家。暴力を正当化するために、事実をすり替え、強引に理由付けしていく2人の老人。そこに、テリル少佐の娘パットと結婚するために東部からジム・マッケイがやって来る。ジムは否応無しにその争いに巻き込まれていく。全編でで映し出される映像は、西部の雄大さを表現している。監督は「ローマンの休日」のウィリアム・ワイラー。月夜の夜、グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンの殴り合いは、ロングショットで演じている。
二人の老人が共同体内で絶対的な“法”となっている。また、決闘と暴力が蔓延している場所でもあり、そこからはずれれば腰抜けで臆病者だと罵られる場所である。したがって立場によって、正義は違ってくる。見方が変われば敵も変わる。登場人物の立ち居地も変化してきて、味方が敵になったり、逆に敵の行動も理解できるようになったりもする。現実社会の矛盾に通じるこの曖昧さを問題提議している。また、銃や武器に頼らない平和的な解決を目指していることや表面的な力にとらわれない強さも描かれている。現実のアメリカ社会は未だに、“力が全てだ”とばかりに無用の流血をするこの二人の老牧場主に支配されているような状況になっているのかもしれない。そういう意味でも今でも通じる映画である。
「ビッグマディ」と呼ばれる水源地を巡って、地元の二大勢力であるテリル家とヘネシー家が激しく対立している。きっかけさえあれば、些細なことで相手に報復と復讐を吹っかける両家。暴力を正当化するために、事実をすり替え、強引に理由付けしていく2人の老人。そこに、テリル少佐の娘パットと結婚するために東部からジム・マッケイがやって来る。ジムは否応無しにその争いに巻き込まれていく。全編でで映し出される映像は、西部の雄大さを表現している。監督は「ローマンの休日」のウィリアム・ワイラー。月夜の夜、グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンの殴り合いは、ロングショットで演じている。
二人の老人が共同体内で絶対的な“法”となっている。また、決闘と暴力が蔓延している場所でもあり、そこからはずれれば腰抜けで臆病者だと罵られる場所である。したがって立場によって、正義は違ってくる。見方が変われば敵も変わる。登場人物の立ち居地も変化してきて、味方が敵になったり、逆に敵の行動も理解できるようになったりもする。現実社会の矛盾に通じるこの曖昧さを問題提議している。また、銃や武器に頼らない平和的な解決を目指していることや表面的な力にとらわれない強さも描かれている。現実のアメリカ社会は未だに、“力が全てだ”とばかりに無用の流血をするこの二人の老牧場主に支配されているような状況になっているのかもしれない。そういう意味でも今でも通じる映画である。
都会は恵まれてますね。地方の映画館はよほどのヒット作品でなければ、閑古鳥が鳴いてますよ。
寄席なら、バッタリできましたね。
寄席でバッタリ出来なくて、残念でした。