「エクソシスト」 1973年 アメリカ
監督 ウィリアム・フリードキン
出演 エレン・バースティン
マックス・フォン・シドー
リー・J・コッブ
ジェイソン・ミラー
リンダ・ブレア
キティ・ウィン
ストーリー
北イラクの古代遺跡。
アメリカの古生物学者でありカトリックの神学者でもあるメリン神父は、発掘中に悪霊バズスの偶像を発見した。
メリン神父は吹きすさぶ風の中、灼熱の焔を吹き上げ今まさに沈まんとする太陽を背に、いつか再びこのバズスと対決することを異様な戦慄と緊迫感のの中で全身に感じていた。
ここはワシントンのジョージタウン。
ロケのため臨時に借家住まいをしている人気女優クリスは屋根裏で響く異様な物音に悩まされていた。
初めはネズミの仕業だろうとさほど気にしなかったが、まもなく1人娘のリーガンの身に恐るべき事が起こり始めたのだ。
万策つきたクリスは、“悪魔払いの儀式”を行なってもらおうとカラス神父に頼み込んだところ、神父は当初それを信じなかったが、リーガンの腕に“ヘルプ・ミー”の文字が浮かび上がったとき、彼は現代ではすたれてしまった“悪魔払いの儀式”を行なうことを決意した・・・。
寸評
ホラー映画、オカルト映画はきわもの映画であると思うのだが、「エクソシスト」はそのジャンルの中において正しく金字塔と言える出来栄えである。
本作のヒットを得て、その後に類似の作品が数多く生み出されたことがそれを証明している。
描かれている話は単純で何かを訴えるものではなく、あくまでも映画は見世物なのだと言った内容だが、みっちり練られた脚本と演出で異様な世界の映像化に成功している。
冒頭の30分くらいは作品の背景を説明するような内容で、それが簡潔に行われているとは言えないものなので、むしろ退屈な時間に思えるのだが、この一見無駄とも思えるプロローグが後半の支えになっていた。
イラク北部で遺跡の発掘調査していたメリン神父は謎の像を発見するのだが、その像が何かいわくありげなことは分かるが、それが悪霊パズスの像だと言うこと、そしてどのような力を持つものなのかの説明はない。
メインキャストであるクリスとリーガンの母娘が登場するが、仲睦まじい母と娘の姿、母は俳優であることが描かれるだけで、本題となるリーガンの異常はまだ現れない。
やがて重要な人物となるデミアン・カラス神父が母親を見舞いに訪ね、病院の雰囲気が異様なものであり、母の死がデミアン神父のトラウマになるようなことが描かれるが、それらは独立した話の様でまだ絡んではこない。
期待をもって見ていると、まどろっこしさを覚える入りなのだが、リーガンに異常が出てくるあたりから、それまで抑えていたものが噴き出すように迫力を増してくる。
特殊メイクと異常現象が観客の目を一瞬たりとも離させないのだ。
母親のクリスは娘の身を案じて医者に見せるのだが、医者は自分のテリトリーを守るような診断ばかりである。
どんな検査をしても正常と判断されるだけなのに、リーガンの症状は重くなる一方である。
医者は全能でないし、自分の専門分野内で判断するようだし、だからセカンド・オピニオンは必要だと思わされたが、リーガンの症状は医者の範疇を超えるものである。
科学の先端を行く一人であるはずの医者が、暗示療法とはいえ一縷の望みをかけて悪魔祓いを提唱するのは、神を超えて人の命を左右する医者の傲慢さを揶揄して面白い。
そう感じるのは先生と呼ばれる人種を嫌悪する僕のうがった見方ではあるのだが。
リーガンの異常行動はエスカレートしていき症状も悪化の一途をたどるが、母親のクリスは当然としても、執事のカール、メイドのシャロンやメアリーが献身的に尽くしている姿に物語とは関係なく心打たれた。
圧倒するのはリーガンのリンダ・ブレアである。
悪魔の乗り移った少女を、悪魔の声がかぶるとは言え、想像を絶する狂気じみた演技で見せつける。
少女に卑猥な言葉を発せさせるのも興奮を増加させた。
何人かが悪魔へのいけにえのようになって死ぬのだが、その死は必然的なもので見せるためのものではない。
やたら死人を出して見世物効果を増幅させるようにはなっていない脚本は評価できる。
話はまだまだ続くのだぞと思わせるようなエンディングも余韻を持たせた。
十分に堪能して映画を見終えることが出来たのだが、つまりはキリスト教賛歌なのかと思ってしまうのは、無神論者である罰当たりな僕の飛躍だろう。
監督 ウィリアム・フリードキン
出演 エレン・バースティン
マックス・フォン・シドー
リー・J・コッブ
ジェイソン・ミラー
リンダ・ブレア
キティ・ウィン
ストーリー
北イラクの古代遺跡。
アメリカの古生物学者でありカトリックの神学者でもあるメリン神父は、発掘中に悪霊バズスの偶像を発見した。
メリン神父は吹きすさぶ風の中、灼熱の焔を吹き上げ今まさに沈まんとする太陽を背に、いつか再びこのバズスと対決することを異様な戦慄と緊迫感のの中で全身に感じていた。
ここはワシントンのジョージタウン。
ロケのため臨時に借家住まいをしている人気女優クリスは屋根裏で響く異様な物音に悩まされていた。
初めはネズミの仕業だろうとさほど気にしなかったが、まもなく1人娘のリーガンの身に恐るべき事が起こり始めたのだ。
万策つきたクリスは、“悪魔払いの儀式”を行なってもらおうとカラス神父に頼み込んだところ、神父は当初それを信じなかったが、リーガンの腕に“ヘルプ・ミー”の文字が浮かび上がったとき、彼は現代ではすたれてしまった“悪魔払いの儀式”を行なうことを決意した・・・。
寸評
ホラー映画、オカルト映画はきわもの映画であると思うのだが、「エクソシスト」はそのジャンルの中において正しく金字塔と言える出来栄えである。
本作のヒットを得て、その後に類似の作品が数多く生み出されたことがそれを証明している。
描かれている話は単純で何かを訴えるものではなく、あくまでも映画は見世物なのだと言った内容だが、みっちり練られた脚本と演出で異様な世界の映像化に成功している。
冒頭の30分くらいは作品の背景を説明するような内容で、それが簡潔に行われているとは言えないものなので、むしろ退屈な時間に思えるのだが、この一見無駄とも思えるプロローグが後半の支えになっていた。
イラク北部で遺跡の発掘調査していたメリン神父は謎の像を発見するのだが、その像が何かいわくありげなことは分かるが、それが悪霊パズスの像だと言うこと、そしてどのような力を持つものなのかの説明はない。
メインキャストであるクリスとリーガンの母娘が登場するが、仲睦まじい母と娘の姿、母は俳優であることが描かれるだけで、本題となるリーガンの異常はまだ現れない。
やがて重要な人物となるデミアン・カラス神父が母親を見舞いに訪ね、病院の雰囲気が異様なものであり、母の死がデミアン神父のトラウマになるようなことが描かれるが、それらは独立した話の様でまだ絡んではこない。
期待をもって見ていると、まどろっこしさを覚える入りなのだが、リーガンに異常が出てくるあたりから、それまで抑えていたものが噴き出すように迫力を増してくる。
特殊メイクと異常現象が観客の目を一瞬たりとも離させないのだ。
母親のクリスは娘の身を案じて医者に見せるのだが、医者は自分のテリトリーを守るような診断ばかりである。
どんな検査をしても正常と判断されるだけなのに、リーガンの症状は重くなる一方である。
医者は全能でないし、自分の専門分野内で判断するようだし、だからセカンド・オピニオンは必要だと思わされたが、リーガンの症状は医者の範疇を超えるものである。
科学の先端を行く一人であるはずの医者が、暗示療法とはいえ一縷の望みをかけて悪魔祓いを提唱するのは、神を超えて人の命を左右する医者の傲慢さを揶揄して面白い。
そう感じるのは先生と呼ばれる人種を嫌悪する僕のうがった見方ではあるのだが。
リーガンの異常行動はエスカレートしていき症状も悪化の一途をたどるが、母親のクリスは当然としても、執事のカール、メイドのシャロンやメアリーが献身的に尽くしている姿に物語とは関係なく心打たれた。
圧倒するのはリーガンのリンダ・ブレアである。
悪魔の乗り移った少女を、悪魔の声がかぶるとは言え、想像を絶する狂気じみた演技で見せつける。
少女に卑猥な言葉を発せさせるのも興奮を増加させた。
何人かが悪魔へのいけにえのようになって死ぬのだが、その死は必然的なもので見せるためのものではない。
やたら死人を出して見世物効果を増幅させるようにはなっていない脚本は評価できる。
話はまだまだ続くのだぞと思わせるようなエンディングも余韻を持たせた。
十分に堪能して映画を見終えることが出来たのだが、つまりはキリスト教賛歌なのかと思ってしまうのは、無神論者である罰当たりな僕の飛躍だろう。