おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

海辺の家

2020-11-08 08:13:07 | 映画
「海辺の家」 2001年 アメリカ


監督 アーウィン・ウィンクラー
出演 ケヴィン・クライン
   クリスティン・スコット・トーマス
   ヘイデン・クリステンセン
   ジェイミー・シェリダン
   サム・ロバーズ
   スコット・バクラ

ストーリー
ジョージ・モンロー(ケヴィン・クライン)は建築デザイナーの42歳、海が見える崖に立つ古い家に住む変わり者。
犬を放し飼いにしたり、崖から海に向かって放尿するなど、近所から煙たく思われている。
彼には既に別の人と再婚している元妻のロビン(クリスティン・スコット・トーマス)と、16歳になる反抗期の息子サム(ヘイデン・クリステンセン)がいるが、仲は悪く別居していた。
ある日、彼は20年来勤めていた建築設計事務所から突然解雇を告げられる。
怒り狂った彼は、自分が長年作った建築モデルを片っ端から壊し、オフィスを出るが外で倒れてしまう。
挙げ句の果てに医者から余命3ヵ月との宣告を受けてしまう。
再婚して幸せに暮らす妻、そしていまだに父を憎み続ける16歳になる息子。
ジョージは初めて自分の人生に疑問を感じた。
病院から帰ったジョージは、離婚した妻と息子に、この一夏は、息子サムとジョージの家で過ごし、その古い家を壊し、新しい家を建てるつもりだと告げる。
ジョージは残り少ない時間で失った父子の絆を取り戻そうと必死なのだ。
ドラッグとパンク音楽が好きな息子は、父の突然の提案に猛烈に反対するが、ジョージは譲らず無理やり息子と同居を始める。
サムの心の支えは、ジョージの家の向かいに住む娘アリッサ(ジーナ・マローン)。
アリッサの母親コリーン(メアリー・スティーンバーゲン)は、ジョージが離婚直後にちょっと付き合っていたらしい。
やがて病状が悪化しつつも、懸命に新しい家を建てようとするジョージを、皆があたたかく手伝い始める。
彼はサムや、ロビンたちとの愛を取り戻したのだ。
そしてジョージは死んでしまうのだが、家は見事完成するのだった。


寸評
死期が迫った父親が過去を反省して、家を建てることで息子との絆を取り戻そうとする話で、基本は涙タップリの感動物語なのだが、お涙頂戴に陥らず淡々としかもユーモラスに描いているのがいい。
ジョージは建築デザイナーだがコンピューターを使ったプレゼンに対応できないアナログ的な昔人間で、そのために彼は会社を解雇されてしまう。
僕は会社勤務時代は情報システム部に所属していたのだが、コンピューターの自社導入を行いやっとメインフレームに精通出来てきたと思ったら時代はパソコンに移り変わっていった。
流石にその変化に追いつくのは大変だったが、幸いにもその頃には管理職となっていて直接の開発担当ではなくなっていた。
その変遷の中でソロバン、電卓育ちの方々がパソコンに四苦八苦されていた姿を思い出す。
いつの時代でも新技術の台頭に悪戦苦闘する世代はいるものだと思った。

家を建てる話だが、むしろ家を壊すまでが詳しく描かれている。
息子のサムの荒れた生活を描き、元妻であるロビンの新しい夫との隙間風を描きながら、問題から目を背け家庭を維持している様子は、一度出来上がったものを根底から壊すことの困難さを描いていたようでもある。
それは家庭でも言えることで、崩壊寸前でありながらも完全崩壊するためにはそれ相応のパワーが必要なのだ。
ロビンの一家はまさにそのような象徴だ。
この親子は、いったん徹底的に過去を破壊しなければ、新しい関係は作り出せないのだろう。
最初は反抗的なサムだが、ジョージの家族体験も重なって目覚めていくのは筋書き通りではある。
その間に描かれるサムの同性愛相手のアルバイト話とかは珍しい設定だ。

死が近いという深刻な状況なのに、泣き叫ぶような場面はほとんどなくて、自分の病気のを息子に告げる衝撃の場面でさえ、「癌にてこずっている」と告知する抑えたトーンだ。
その演出は心の奥深くまでジワーッと染みてくるさわやかな感動を呼び起こす。
滑稽な場面を挿入していることでしんみりムードを和らげていることも一因をなしている。
ジョージの愛犬の困ったワンちゃんと、お隣りのオッサンとのおしっこを巡るバトルなどは笑える。
ご近所も悪い人はいないような環境だが、一人だけ新しい家に何かと文句をつけてくる人がいる。
最初は名前だけしかわからなかったが、その人物が黒色の日本車に乗っていたことで一件落着となる。
なーるほど・・・、サムのアルバイトがここで効いてきたかというオチも可笑しい。

海辺の家だけに美しい海のショットが効果的に使われているが、少々話を盛り込み過ぎている感がある。
アリッサの母親とアリッサの友人とのイケナイ関係などはあまり意味がなかったように思う。
愛情物語として、前述の母のアバンチュール、本線の父と息子、元妻との愛、彼女と今の夫との関係、そして息子とガールフレンドの話などが盛り込まれているが、そのために本線の影が薄くなってしまっている。
父親の変化も息子に比べれば弱い。
でも単なるお涙頂戴映画になっていなかったのは評価できる。
死を宣告されたら、僕は一体何をするかなあ…。