「黄金の七人」 1965年 イタリア
監督 マルコ・ヴィカリオ
出演 フィリップ・ルロワ
ロッサナ・ポデスタ
ガストーネ・モスキン
ガブリエル・ティンティ
モーリス・ポリ
マヌエル・ザルゾ
ストーリー
ジュネーブにあるスイス銀行の大金庫は万全の備えをもつ最新式のものだ。
扉は電子装置で開閉、地下には坑道をめぐらし電気写真装置、侵水装置などその防御設備には近代化学の粋がもりこまれていて、中に眠っているのは時価数百億円の金塊である。
となればこれを狙う連中の心は常にもましてハッスルしようというもの。
ある冬の日、真黄色に塗った道路工事の車と、オレンジ色の服を着た六人の男が、道路に穴をあけ地下にもぐっていったが、誰も彼らがヨーロッパよりぬきの泥ちゃんとは気がつかない。
しかも向いのホテルの一室では、リーダーの“教授”とよばれる男アルべールが、情婦のジョルジアを傍わらに無線通話機、レーダーで総指揮をとっているという念の入り方。
特製ドリルで大金庫の底に穴をあげた男たちは午後一時、計画通りに仕事を完了。
七トン、時価五億円の金ののべ樺は“銅”という名目でイタリアへ発送されてしまった。
「教授」とジョルジアは夜行列車で、あとの六人は車で出発し、落合うところはローマ。
ところがジョルジアはスイス銀行の支配人としめし合せて、「教授」を眠らせて横取りを計った。
しかし役者は「教授」の方が一枚上で計画は見事に失敗。
彼は金を独占--と思ったが、愛する女は憎めないし、六人も黙ってはいない。
寸評
チームを組んで大金を強奪する話として、僕はテレビ放映されたフランク・シナトラ、ディーン・マーティン、 ピーター・ローフォード、サミー・デイヴィス・Jrなどが出演する「オーシャンと十一人の仲間」という作品を見ていたのだが、劇場でこの映画を見た時にはそれに匹敵する興奮を感じたことを思い出す。
「オーシャンと十一人の仲間」はリメイクされシリーズ化もされて、映像技術が進んだこともあってよりエンタテインメントとして洗練されたものが生み出されているが、本作は当時としては新鮮な犯罪映画だった。
軽快なメロディがスキャットと共に流れて映画冒頭から自然と楽しくさせてくれる。
用意周到な準備段階は描かれずいきなり金庫破りが開始される。
登場人物たちがそれぞれの役割をこなしていくが、使用される小道具は子供だましのようなもので笑わせる。
貸金庫に預ける発信機だったり、教授が操作するモニターなども陳腐なものに感じるが、それもおとぎ話としてこの作品を支えているのかもしれない。
コメディ的要素もふんだんに盛り込まれていて、そんな必要があるのかと言いたいぐらいに衣装を変えてロッサナ・ポデスタがお色気を振りまき、それをのぞき込む司祭や注意するために訪れる警官などはその部類に入る。
前半では厳重な金庫に保管されている金塊を盗み出すための手口が描かれていくが、その中で予期せぬ出来事が起きるのは物語として当然なのだが、それほどハラハラさせるものではない。
全体的には軽いタッチで描かれているので、手に汗握り息をひそめて見入った結果、山を越した時にホッと一息つくようなことはなく、何処までもお気軽に見ることができる内容となっている。
また徹底してそのスタイルを貫いている所が良い。
強奪が成功すると裏切りエピソードのオンパレードとなる。
独り占めするための仲間割れとか裏切りは犯罪ものには付き物のような所があるが、予想される以上の展開に引き込まれていくので、これは脚本の妙にあったと思う。
教授とジョルジアが結託して仲間を出し抜くのは想像の範囲内なのだが、教授を尊敬し信頼する実行犯6人の馬鹿さ加減にはあきれる。
前半で銀行の頭取が旅行を計画している場面が用意されているが、後半で頭取は辞表が受理されて今日が最後の務めであることがジョルジアに語られる。
この頭取が裏切り行為に絡んでくるのは予想外だ。
ジョルジアの裏切りと、それを読んでいた教授の対策、次にやって来る展開と、後半の物語は目まぐるしい。
この手の犯罪が成功裏に終わることはないので、どこで破たんするのかと思っていたら騒々しいものとなっていて、「オーシャンと十一人の仲間」のような小粋さはない。
犯人たちは金塊を何個か持ち去っても良かったのにと思うが、それでは映画にならない。
裏切り合った仲間が再結集しているラストも楽しいものとなっている。
タイトルは「黄金の七人」となっているが、実行犯は教授を含めて8人いるのだが、教授は人数に入っていないのだろうか、それとも7人と言う人数が映画的におさまりがいいのだろうか。
7人と名のついた映画が結構存在している。
監督 マルコ・ヴィカリオ
出演 フィリップ・ルロワ
ロッサナ・ポデスタ
ガストーネ・モスキン
ガブリエル・ティンティ
モーリス・ポリ
マヌエル・ザルゾ
ストーリー
ジュネーブにあるスイス銀行の大金庫は万全の備えをもつ最新式のものだ。
扉は電子装置で開閉、地下には坑道をめぐらし電気写真装置、侵水装置などその防御設備には近代化学の粋がもりこまれていて、中に眠っているのは時価数百億円の金塊である。
となればこれを狙う連中の心は常にもましてハッスルしようというもの。
ある冬の日、真黄色に塗った道路工事の車と、オレンジ色の服を着た六人の男が、道路に穴をあけ地下にもぐっていったが、誰も彼らがヨーロッパよりぬきの泥ちゃんとは気がつかない。
しかも向いのホテルの一室では、リーダーの“教授”とよばれる男アルべールが、情婦のジョルジアを傍わらに無線通話機、レーダーで総指揮をとっているという念の入り方。
特製ドリルで大金庫の底に穴をあげた男たちは午後一時、計画通りに仕事を完了。
七トン、時価五億円の金ののべ樺は“銅”という名目でイタリアへ発送されてしまった。
「教授」とジョルジアは夜行列車で、あとの六人は車で出発し、落合うところはローマ。
ところがジョルジアはスイス銀行の支配人としめし合せて、「教授」を眠らせて横取りを計った。
しかし役者は「教授」の方が一枚上で計画は見事に失敗。
彼は金を独占--と思ったが、愛する女は憎めないし、六人も黙ってはいない。
寸評
チームを組んで大金を強奪する話として、僕はテレビ放映されたフランク・シナトラ、ディーン・マーティン、 ピーター・ローフォード、サミー・デイヴィス・Jrなどが出演する「オーシャンと十一人の仲間」という作品を見ていたのだが、劇場でこの映画を見た時にはそれに匹敵する興奮を感じたことを思い出す。
「オーシャンと十一人の仲間」はリメイクされシリーズ化もされて、映像技術が進んだこともあってよりエンタテインメントとして洗練されたものが生み出されているが、本作は当時としては新鮮な犯罪映画だった。
軽快なメロディがスキャットと共に流れて映画冒頭から自然と楽しくさせてくれる。
用意周到な準備段階は描かれずいきなり金庫破りが開始される。
登場人物たちがそれぞれの役割をこなしていくが、使用される小道具は子供だましのようなもので笑わせる。
貸金庫に預ける発信機だったり、教授が操作するモニターなども陳腐なものに感じるが、それもおとぎ話としてこの作品を支えているのかもしれない。
コメディ的要素もふんだんに盛り込まれていて、そんな必要があるのかと言いたいぐらいに衣装を変えてロッサナ・ポデスタがお色気を振りまき、それをのぞき込む司祭や注意するために訪れる警官などはその部類に入る。
前半では厳重な金庫に保管されている金塊を盗み出すための手口が描かれていくが、その中で予期せぬ出来事が起きるのは物語として当然なのだが、それほどハラハラさせるものではない。
全体的には軽いタッチで描かれているので、手に汗握り息をひそめて見入った結果、山を越した時にホッと一息つくようなことはなく、何処までもお気軽に見ることができる内容となっている。
また徹底してそのスタイルを貫いている所が良い。
強奪が成功すると裏切りエピソードのオンパレードとなる。
独り占めするための仲間割れとか裏切りは犯罪ものには付き物のような所があるが、予想される以上の展開に引き込まれていくので、これは脚本の妙にあったと思う。
教授とジョルジアが結託して仲間を出し抜くのは想像の範囲内なのだが、教授を尊敬し信頼する実行犯6人の馬鹿さ加減にはあきれる。
前半で銀行の頭取が旅行を計画している場面が用意されているが、後半で頭取は辞表が受理されて今日が最後の務めであることがジョルジアに語られる。
この頭取が裏切り行為に絡んでくるのは予想外だ。
ジョルジアの裏切りと、それを読んでいた教授の対策、次にやって来る展開と、後半の物語は目まぐるしい。
この手の犯罪が成功裏に終わることはないので、どこで破たんするのかと思っていたら騒々しいものとなっていて、「オーシャンと十一人の仲間」のような小粋さはない。
犯人たちは金塊を何個か持ち去っても良かったのにと思うが、それでは映画にならない。
裏切り合った仲間が再結集しているラストも楽しいものとなっている。
タイトルは「黄金の七人」となっているが、実行犯は教授を含めて8人いるのだが、教授は人数に入っていないのだろうか、それとも7人と言う人数が映画的におさまりがいいのだろうか。
7人と名のついた映画が結構存在している。