おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

永遠と一日

2020-11-11 07:38:51 | 映画
2019年2月1日から「え」の第1弾をアップしましたが
今日からは第2弾です。


「永遠と一日」 1998年 ギリシャ フランス イタリア


監督 テオ・アンゲロプロス
出演 ブルーノ・ガンツ
   イザベル・ルノー
   アキレアス・スケヴィス
   デスピナ・ベベデリ
   イリス・ハジアントニウ
   エレニ・ゲラシミドゥ

ストーリー
北ギリシャの港町、テサロニキ。
作家で詩人のアレクサンドレ・アレクサンドロスは不治の病で入院を明日に控え、人生最後の一日を迎える。
母の呼ぶ声を耳に3人の親友と島へと泳いだ少年の日の思い出の夢から覚めた彼は、3年前に先立たれた妻アンナが遺した手紙を託すため、娘カテリナの元を訪ねる。
手紙の1通は30年前の夏の一日、生まれたばかりの娘を囲んでの海辺の家での思い出をよみがえらせ、妻の深い愛情を改めて知らしめた。
町に出た彼はアルバニア難民の少年と出会う。
アレクサンドレは国境まで少年を送り帰そうとするが、彼は離れようとしない。
河辺で少年に前世紀の詩人ソロモスの話をするアレクサンドレ。
幻想のなかで、かの人ソロモスに出会うふたり。
痛みをこらえながらアレクサンドレは少年と旅を続けるうち、さらに過去の記憶が甦る。
夏、アンナをともない親戚らと島へ向かったこと、島に残る少年の日の思い出の崖。
少年の仲間の死は病院で別れを告げた母を思い起こさせる。
仲間と旅立つという少年とバスに揺られれば、さまざまな年代の人々が夢かうつつか乗り込んでくる。
結局、少年は深夜、大きな船で去った。
思い出のこもった海辺の家は解体される。
病院行きをやめたアレクサンドレの耳に、亡き妻の声が響く……。


寸評
現代のギリシャの町、テサロニキにおいて老境の作家アレクサンドレは不治の病に侵され、明日入院することになっており死期を悟っている。
自由に動き回れるのが今日一日だけという人生の最後の一日に、街中で偶然に出会ったアルバニア系難民の少年と過ごす短いが充実した時間を濃密に 描いている作品である。
そして、少年と過ごす時間の間に、作家の歩んできた人生が回想する形で挿入される。
すでに亡くなっている妻との関係、作家と社会とのかかわりを内省するように挟まれるが、少し難解さを感じる。
その映像の美しさ、カメラ回しの巧みさに魅了されるが、作品としては一般的ではない。

アレクサンドレは入院することを旅に出ると言っているが、同時に死を迎えることでもある。
その為に飼っている犬の引受先を探さねばならない。
娘の所を訪ねるが、夫が動物が嫌いだからと断られてしまう。
おまけに長年住んでいた海辺の家を娘夫婦が売りに出していることも知る。
結婚した娘は父親に詫びるが、もう以前の娘ではない。
娘は父親よりも夫との今の生活の方が大事なのだ。
そのようにして子供たちは親元から巣立っていくのだろう。
それでも皆に祝福されて誕生したことが妻の手紙で語られ、その時のことが回想される。
僕が死期を向かえたなら、色々あったが娘には「お父さんの子供に生まれてくれてありがとう」と伝えたい。
思い起こされるのは、きっと楽しい思い出ばかりだと思う。
淋しいことではあるが、そう思えたなら幸せなことでもある。

少年はギリシャ難民で過酷な状況で働いており人身売買に晒されていた。
アレクサンドレはふとしたことで少年の危機を救い、なんとか少年を祖国に送り返してやりたいと考えて、少年と厳寒のアルバニア国境を訪れるシーンがある。
少年はその好意に反するわけではないのだが、帰りたいという意思も示さない 。
そして地雷を避けて友人と脱出したことを語る。
国境に張りめぐらされた金網に多くの人々がしがみつき、凍りついて死んでいる。
二人に気がついたナチス・ドイツのような軍服を着た将校が近づいてくる光景は、身も凍るような陰惨さで、現代の国境が持っている冷酷な一 面を一瞬にして観る者に悟らせる。
少年は一言も発しないが、彼の祖国の実態がいかなるものであるかが想像できてしまう。 
少年が祖国に帰ることで少年に幸せが訪れるものではない事を示している。
祖国を捨て去った方が幸せだと言う悲劇だ。
戦争は悲劇的だが、内戦はもっと悲惨なものなのだろう。
平和ボケいしている日本人には国境と言う概念の欠如、内戦とういう実態の認識欠如があるのではないか。

思い出の世界、死後の世界は永遠なのだろう。
現世の一日には何があるのだろう・・・幸せな一日なのか、悲惨な一日なのか。