おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

書を捨てよ町へ出よう

2023-11-27 07:36:12 | 映画
「書を捨てよ町へ出よう」 1971年 日本


監督 寺山修司
出演 佐々木英明 斎藤正治 小林由起子 平泉征
   森めぐみ 丸山明宏 新高恵子 浅川マキ
   鈴木いづみ 川村郁 J・A・シーザー
   クニ河内 チト河内 川筋哲郎 蘭妖子

ストーリー
“映画の中には、何もないのだ。さあ、外の空気を吸いに出てゆきたまえ”というセリフで映画は始まる。
主人公の「私」の名前は北村勝、しかし誰も私の名を知らない。
月給二万八千円のプレス工の「私」は、ときどき人力飛行機で空を飛ぶ幻想にひたる。
「私」の家族は五年前に一家そろって家出してきた。
万引きぐせのあるおばあちゃん。
もと陸軍上等兵、もと屋台ラーメン屋、いま無職、48歳になってもまだオナニーを止められない親父。
ほとんど口をきかず、ウサギを偏愛している妹セツ。
「私」は、ある学校のサッカー部の「彼」を、尊敬している。
「彼」は「私」のことを、一人前の男にしてやるといって、元赤線の娼婦みどりのところへ連れていった。
全裸のみどりの愛撫をうけながら、妹とお医者さんごっこをしたこと、女医に乳房を押しつけられたことなど少年時代のことを想い出したが……いつのまにか、「私」は娼婦の部屋から、はだしで逃げ出していた。
おばあちゃんは、隣の部屋の金さんから、セツの、ウサギの可愛がり方が異常だといわれ、金さんにウサギを殺させる。
これを知ったセツは大変なショックをうけ、家を飛び出し、一晩中表をさまよい歩いたあげく、サッカー部の脱衣所にさまよい込み「彼」をふくむ部員たちから輪姦される。
「私」は、ぐうたらな親父を立ち直らせようと思い、ラーメンの屋台車を手に入れることを「彼」に頼む。
「彼」が手に入れた屋台車は盗品で、「私」は刑事に手錠をかけられ連行される。
そして「私」は映画の中の「演技」の私に訣別する。


寸評
場内の照明が消えて真っ暗になり映画が始まる。
真っ白だったスクリーンも黒くなるのだが、なかなか映画は始まらず観客は相変わらず暗闇の中だ。
そこで主人公が登場し、観客である我々に語り掛けてくる。
”そっちは禁煙なんだろ?こっちは自由だ。映画館の中にいても何も起こらない、さあ映画館を出て外に出て行きたまえ”と呼びかける。
「書を捨てよ町へ出よう」とは何ともカッコいいタイトルである。
書とは文字通り本のことであるが、同時に学校や会社、家庭といった制約のある社会のことで、そこでは勤勉さが評価されるであろう。
町とはその逆で規則や道徳の支配が効かない場所で、いわばアウトローの世界なのだがその中に飛び出さないと真実の人生はないとでも言いたいのだろう。

映画はすべてがハプニングでストーリーなんか存在しない。
脈略もなく町に飛び出し、脈略のない出来事を描き出すが、ストーリーを追うことになれている僕はついていけないものを感じる。
映像は実験的で、時々緑やピンク、青などのフィルターがかかった画面となる。
それが何を表しているのか僕は分からなかった。
ただアジテーション的な叫びが聞こえ、音楽が流れてくると変な高揚感があった。
僕は見たことはないのだが、何か「天井桟敷」の公演を見ているような気になった。
当時はアングラ劇団が一部の人たちにはもてはやされていた。
「天井桟敷」の寺山修司、「状況劇場」の唐十郎、「早稲田小劇場」の鈴木忠志、「黒テント」の佐藤信たちだ。
この映画はやはりアンダーグラウンドである。
実験映画と言っても良いが、僕には2時間以上の上映時間が辛かった。

主人公は青森県の田舎出身で鬱屈した青春を送っている。
若者としての情熱を持ち合わせているが、その情熱を何処にぶつけたらいいのか分からない。
サッカー部の先輩に、男になる為に元赤線の娼婦を紹介してもらうがこのシーンは訳もなく長い。
その最中に少年時代の性的な思い出がよぎり、その場所から靴も履き忘れて逃げ出してしまう。
普通の映画なら、そんな意気地なしの彼の屈折した青春を描くのだろうが、そんな雰囲気はない。
色んな人物が出てくるが、人生でカッコイイことなんてほとんど無いとでもいいたいのか皆カッコ悪く生きている。
これはATG作品で商業映画ではない、逆に言えば この映画は芸術映画なのだ。
映画は娯楽であると同時に芸術でもあると思うのだが、共存するかどうかは見る人によって違うだろう。
この映画に関しては僕の中で共存しなかったので、これは芸術映画なのだと思い込むことでしか消化することが出来なかった。
最後はオープニングと逆で真っ白な画面となり、アジテーションが流れる。
実験映画なので、スタッフやキャストのクレジットはない。
その代わりに主人公が名前をあげ、最後にそれぞれの顔が次々映し出されて映画は終わる。