おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

終電車

2023-11-20 07:15:10 | 映画
「終電車」 1980年 フランス


監督 フランソワ・トリュフォー
出演 カトリーヌ・ドヌーヴ ジェラール・ドパルデュー
   ジャン・ポワレ ハインツ・ベネント
   ポーレット・デュボスト アンドレア・フェレオル
   サビーヌ・オードパン リシャール・ボーランジェ

ストーリー
第二次大戦中、ナチ占領下のパリ。
人々は夜間外出を禁止され、地下鉄の終電車に殺到する。
この混乱の時代は、しかし映画館や劇場には活況を与えていた。
そんな劇場の一つモンマルトル劇場の支配人であり演出家のルカ・シュタイナーは、ユダヤ人であるため、南米に逃亡し劇場の経営を妻であり看板女優のマリオンにまかせていた。
彼女は、今、ルカが翻訳したノルウェーの戯曲『消えた女』を俳優のジャン・ルーの演出で上演しようとしていた。
相手役には新人のベルナール・グランジェが起用された。
ジャン・ルーは、この戯曲の上演許可のため、ドイツ軍の御用批評家となっているダクシアとも親しくしているというやり手である。
連日稽古が続けられるが、稽古が終ると、ベルナールはカフェで数人の若者たちと会って何か相談し合っており、一方マリオンは暗闇の劇場に戻って地下へ降りていく。
地下室には、何と、南米に逃げたはずのルカが隠れていたのだ。
夜マリオンが会いに来るのを待ちうけ、昼は、上で行なわれている舞台劇の様子を通風孔の管を使って聞き、やってくるマリオンにアドバイスを与えていたので、彼は地下にいながら実質的な演出者だった。
初演の日、『消えた女』は、大好評のうちに幕をとじるが、ルカは満足しなかった。
そして、翌日の新聞でダクシアは酷評を書いた。
マリオンは、舞台の稽古をしながら、いつしかベルナールに惹かれている自分を感じていたが、あるレストランで彼がダクシアに酷評の謝罪を迫ったことで彼に怒りをおぼえた。
『消えた女』は好評を続けるが、ベルナールがレジスタンスに参加するために劇場を去ることになったある日、初めて会ったルカから「妻は君を愛している」と言われ動揺するベルナール。


寸評
ナチスドイツがパリを占領していた時代の話である。
タイトルが「終電車」となっているが電車は登場しない。
パリは1940年6月から44年に連合国によって解放されるまでナチスドイツの占領下にあり、夜間外出禁止令が出されていて、市民はナチが許可した演劇が大きな息抜きの時間として過ごし、人々は外出禁止時間をさけるため終演後に終電車を目指したことでのタイトルである。
画面上にドイツ兵を登場させることによって戦争による環境を描き出していて戦闘場面はない。
ナチスのユダヤ人迫害を受けてルカは劇場の地下に隠れ住んでいる。
時代がもたらす閉塞感の中で恋愛模様が描かれていくのだが、燃えるような恋というわけではない。
終わってみると僕は「突然炎のごとく」と同様に男女の三角関係を描いていたのだと気付いたのだが、見ている時は逃亡したと思われていたルカが劇場の地下にいて、彼が事実上の演出を行っていることでの反戦映画の印象を持っていた。
ベルナールもレジスタンスの一員と思わせるシーンもあり、反ナチ、反戦をテーマにしてどのような展開を見せていくのかと思っていたのだ。
それがベルナールがマリオンに「君の中には二人の女性が見える」と言い出したあたりから、ナンパ男の彼がマリオンに好意を抱き始めているのかなとの雰囲気を感じ始める。
しかし描かれていく内容が、カトリーヌ・ドヌーヴ演じるマリオンの一人舞台という感じで三人の関係が描かれていくので、恋愛物語として見た場合の盛り上がりは感じ取れない。

彼らの愛の三角関係は常にマリオンに主導されて進んでいく。
ベルナールはマリオンに想いを寄せるものの今一つ彼女に近づけないでいる。
ルカは地下にいて、妻の姿を見つめることでベルナールが妻を愛していることに気がつく。
ベルナールのマリオンへの愛は、ダクシアの酷評に食って掛かることで爆発する。
「夫人に謝れ!」とダクシアに迫るベルナールを見て、この映画の恋愛劇は初めて盛り上がりを見せる。
それまで主導権を握っていたマリオンは、ベルナールの激しい吐露をみて逆にベルナールを拒絶するようになるのだが、それはマリオンがルカとの関係が壊れることへ恐れを感じたからに違いない。
三人の複雑な関係はラストでは意外な展開を見せる。
ベルナールを迎えた新作「消えた女」は大成功したものの、モンマルトル劇場はゲシュタポの捜査を受ける。
ルカは難を逃れるが、そこでベルナールとルカが初めて対面し、ルカが意外な言葉をベルナールに伝える。
ルカは優れた演出家で、演出家として妻のマリオンの内面を冷静に見抜いていたのだろう。
連合軍がノルマデーに上陸しパリが解放され、813日の辛抱を経てルカは久しぶりの太陽降り注ぐパリの街を眩しそうに眺めることが出来るようになる。
そして究極のラストである。
自由の身となったルカが加わり、三人の関係はどうなるのかと興味を持たせるのだ。
三者三様の気持ちが交差しただろうが、トリュフオーはここで、ひとつのシークエンスの中で、現実と芝居を連携させて映画の結末を描くというテクニックを見せる。
アッと驚く場面設定で、その後の彼らを想像させるに十分な幕切れであった。