おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ジュリアス・シーザー

2023-11-21 07:25:22 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2019/5/21は「コイのゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」で、以下「好奇心」「河内山宗俊」「幸福な食卓」「荒野の決闘」「荒野の七人」「荒野の用心棒」「コキーユ-貝殻-」「告白」「午後の遺言状」「ゴジラ」と続きました。

「ジュリアス・シーザー」 1953年 アメリカ


監督 ジョセフ・L・マンキウィッツ
出演 ルイス・カルハーン ジョン・ギールグッド
   ジェームズ・メイソン マーロン・ブランド
   グリア・ガーソン デボラ・カー
   エドモンド・オブライエン

ストーリー
紀元前44年、ローマはジュリアス・シーザー(ルイス・カルハーン)が終世執行官となるに至って、貴族たちの間に政治的憤懣が高まった。
シーザーの反対派はかつて彼が葬り去ったポンペイの追従者たちで、一方シーザーの味方は彼に熱烈な忠誠を誓う軍隊の隊長マーク・アントニー(マーロン・ブランド)であった。
その中間に理想主義者たちがおり、その指導者は哲学者のカトーだったが、彼の自殺後、彼の娘婿ブルータス(ジェームズ・メイスン)がこの中間派の第一人者だった。
シーザー打倒を指導するカシアス(ジョン・ギールグッド)がブルータスを言葉巧みに抱き込みにかかっていた。
3月14日の夜、激しい雷雨をついてカシアス、カスカ(エドモンド・オブライエン)ら謀反一味は、彼らの計画をブルータスに打ち明けるため彼の家の庭に集まった。
ブルータスはシーザー暗殺には賛成したがアントニー殺害には反対した。
一味が帰ったのち、ブルータスの妻ポーシャ(デボラ・カー)は物思いに沈む夫を見て何か気がかりであった。
一方シーザーの妻カルプルニア(グリア・ガースン)もその夜は不吉な夢から目覚め、夫に今日は元老院へ行かぬよう切願したのだが、シーザーは元老院に王冠が自分を待っているものと信じ、振り切って出かけた。
謀反者たちは計画どおりシーザーを殺害した。
シーザーの死を悼んだので熱狂した群衆は暴動化し、ブルータスらの謀反者は逃れ去り、ローマはアントニーとオクタヴィアスの支配に帰した。
謀反者たちの間は円満に行かず、ブルータスとカシアスが対立したが、ポーシャ自殺の悲報に和解し、ハイリポの平原でアントニーの軍勢と決戦を挑む決意を固めた。


寸評
今ではガイウス・ユリウス・カエサルを略して単にカエサルと称されるが、僕が初めて世界史を習った頃は英語読みでジュリアス・シーザーと教えられた。
シェイクスピアの戯曲の影響もあったのだろうが、現在ではカエサルと呼ぶことで統一されている。
カエサルはローマ帝国の歴史においてもっとも有名な人物の一人である。
ガリア戦争に勝利して「ガリア戦記」を著し、ポンペイウス、クラッススとの三頭政治を行った後ポンペイウスとの政争に勝ち、エジプト遠征ではクレオパトラに味方し、ブルータスらによる暗殺で倒れたといった数奇な運命が人気のもとかも知れない。

映画はカエサル暗殺の謀議から始まり、暗殺の実行とその後の顛末がダイジェスト的に描かれていくが、内容は希薄ながら史実に基づいているように思える。
カシアス(字幕ではキャシアスとなっている)らによる暗殺の大義名分はカエサルが王位の野望を持っているということで、そのことが殺害に値するのはローマ人たちは王政アレルギーだったことによる。
アントニウス(映画ではアントニー)が王冠に模した冠をカエサルに当てようとしたが、それをカエサルが拒絶し民衆の喝さいを浴びたことが語られているが、これも事実の様である。
カエサルに王位を狙っているという噂が付きまとったのは、彼がパルティア遠征を公表したことに端を発している。
ローマ人が事あるごとにお伺いに出向くシビラの予言の中に、「パルティア遠征は王者によってしか成功しない」というのがあり、それが噂の出所だった所へアントニウスの軽挙が輪をかけたようである。
パルティア遠征の目的は9年前にクラッススが敗北し、捕虜となった1万のローマ兵の奪還にあったが、「ローマ人の物語」の著者、塩野七生氏によるとパルティア軍との会戦で勝利し、オリエントの諸侯にローマ帝国の力を見せつけユーフラテス川を防衛線として確立したかったのだろうと述べられている。
塩野氏は、さらにドナウ河を防衛線として確定させ、ライン河、ドナウ河、黒海、ユーフラテス川と続くラインでローマ帝国の防衛線を完成させるというのがカエサルの思惑だったのではないかと推測されている。

カエサルは有名な「ブルータス、お前もか」という言葉を発して紀元前44年3月15日に暗殺されてしまう。
暗殺場面は演劇的で劇的なものを感じないが、その後に行われたアントニウスの追悼演説場面は盛り上がりを見せ、僕にはこの映画で一番楽しめるシーンとなっていた。
アントニウスは次期の権力者になる野望を持って、ブルータスを讃えながら実は非難しているという演説を行うのだが、若きマーロン・ブランドの絶叫によって、徐々に民衆の気持ちがアントニウスに傾いていく様子が上手く描かれていたと思う。
「戦艦ポチョムキン」で用いられたモンタージュ手法は採用されていないが、アントニウスと民衆のカット・バックはブルータス粛清へ向かう民衆の力を感じさせた。

アントニウス、レピドゥス、オクタビアヌスのよって行われた第二次三頭政治は、年齢でも実績でも筆頭格はアントニウスであったが、やがてアントニウスはオクタビアヌスと争って敗北することになる。
映画はその事を告げずに終わるが、終わり方と言いタイトルは「ジュリアス・シーザー」とするより「ブルータス」とした方が的確だったような内容だが、ネームバリューはやはりカエサルが勝っているということかな・・・。