「十一人の侍」 1967年 日本
監督 工藤栄一
出演 夏八木勲 里見浩太郎 南原宏治 西村晃
大友柳太朗 宮園純子 大川栄子 菅貫太郎
ストーリー
将軍の弟にあたる館林藩藩主松平齊厚(菅貫太郎)の短気から、忍藩の藩主阿部正由(穂高稔)が殺された。
忍藩次席家老榊原帯刀(南原宏治)は訴状を老中水野越前守(佐藤慶)に届け出た。
しかし、齊厚の暴虐と知りつつも、水野は徳川家を守るため忍藩の非とした。
このままでは、藩は取潰しにされると、帯刀は仙石隼人(夏八木勲)に齊厚暗殺を命じた。
隼人は同志九人と共に江戸に向い、暗殺計画を綿密に練った。
一方、館林藩の知恵家老秋吉刑部(大友柳太朗)は、忍藩の暗殺隊を予知し、吉原に入りびたりの齊厚に警護をつけ、逆に隼人らを襲うが、浪人井戸大四郎(西村晃)に妨げられてしまった。
やがてある日、水野の策略で帰藩を早めた齊厚は刑部の率いる五十人の騎馬隊に守られ、日光街道をひた走って行った。
それを察知した隼人らは街道脇の森林に細工をして待ちうけていた。
しかし、その矢先、水野に踊らされた帯刀は計画中止を命令、隼人らは成功を目前にして涙をのんだ。
それは水野が刑部と仕組んだ謀略だった。
ことの真相を直ぐに知った帯刀は腹を切って隼人たちに詫び、怒った隼人は、すぐさま行列を追った。
やがて齊厚は館林領の手前の房川に到着した。
刑部にも、齊厚にも館林を目前にして気のゆるみがあった。
房川の農家で雨宿りの焚火をして休憩しているのを、隼人らが狙っているとは知らなかった。
折から、天候はくずれ豪雨となっていった。
隼人らは、巧妙な作戦を立て、一気に、齊厚を狙って斬りかかっていった。
篠突く雨の中に、凄惨な死闘が繰りひろげられ、刑部ら五十人を相手に、隼人らも次第に味方を失っていった。
隼人と刑部も刺し違えて果てることになった。
長い死闘に残ったのは、井戸大四郎ただ一人であった。
すべては齊厚の短気な気性から生まれた、無意味な死闘だった。
寸評
松平齊厚は始まってすぐに傍若無人の振る舞いを見せるバカ殿ぶりで、制止を聞かず隣国に入り込み領民を殺害してしまう。
それを咎めた忍藩の藩主が齊厚の矢を受け死亡し、将軍の弟である齊厚の非道は留まるところを知らない。
この冒頭の一件で松平齊厚が悪で、主君の仇を討とうとする家臣たちは善という図式が示される。
その悪人ぶり、バカ殿ぶりが徹底していて図式は単純だ。
亡き主君の仇討と言えば赤穂浪士が思い起こされるが、それを描いた忠臣蔵の一面も感じさせる脚本である。
仇討ちか、お世継によるお家存続かで揺れ動く榊原帯刀はさしずめ大石蔵之助といった役柄である。
しかし両者による虚々実々の駆け引きが次々と起きるという展開ではない。
駆け引きは遊郭での一件ぐらいで、老中水野が刑部と語らって画策するのもインパクトのあるものではない。
駆け引きの面白さは、例えば黒澤明の「隠し砦の三悪人」などの方が相当手が込んでいる。
主人公たちは齊厚暗殺に突っ走るが、それは遊郭の場面と、森林を抜ける街道場面だけで、展開としてはシンプルなものであり、不発の展開が盛り上がりに欠けるものとなっている。
あとは破れかぶれの突撃シーンとなっていて、そこに仙石隼人と秋吉刑部の知恵比べは存在していない。
遊郭で興じている齊厚を救い出した刑部は暗殺者をおびき寄せる手立てを講じるが、その手に乗って隼人の義弟である喬之助(近藤正臣) が捕らえられる。
その時の拷問で、突き刺した刀が喬之助の手を切り裂くシーンが生理的にゾクッとさせる。
なぜか手のシーンが多い。
脱藩を決意した隼人が妻である織江(宮園純子)の頬にそっと触れる場面。
江戸に訪ねてきた織江と最後の別れとなるであろう場面での手の触れ合い。
齊厚を襲撃する森のシーンでは、木の陰に身を隠している一人が幹にいた虫を捕まえ手のひらを這わせている。
殺伐としたシーンが続く中にあって、しっとりとさせるシーンとなっていた。
理不尽な判定で取り潰しが懸念される忍藩の目論見は、齊厚を暗殺することで対面を重んじる幕府が事を表ざたにせぬために忍藩の取り潰しを取りやめるであろうとのことなのだが、その目論見の説明が弱い。
したがって、襲撃が取りやめとなるところの盛り上がりがイマイチ盛り上がりに欠けるものとなっていたと思う。
彼等はすでに死んだ人間となっているのだが、その背景の描き方も不足していたように感じる。
脚本的には粗さも目立つが、齊厚の菅貫太郎が将軍の弟をかさに着て我儘し放題の無能殿様を怪演していて、説明不足な部分を覆い隠している。
この人の観客に不快感を与える演技はなかなかいいものがある。
圧巻は何と言っても最後の襲撃シーンだ。
豪雨の中での闘争劇はなかなか迫力のあるものとなっている。
時代的にコンピューター処理に頼らずカメラワークと実写で見せているのがいい。
あの豪雨の中でたき火が燃え盛っているというご都合主義はさておいても、豪雨の中で、あるいは豪雨越しに繰り広げられる乱闘シーンは「七人の侍」には及ばないものの集団抗争としての迫力十分であった。
ある程度の本数が撮られた集団抗争時代劇だが、工藤栄一作品としては数を重ねるごとに出来は低下している。