おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

仁義なき戦い 頂上作戦

2022-09-10 09:11:59 | 映画
「仁義なき戦い 頂上作戦」 1974年 日本


監督 深作欣二
出演 菅原文太 梅宮辰夫 黒沢年男 田中邦衛 堀越光恵
   木村俊恵 中原早苗 渚まゆみ 金子信雄 小池朝雄
   山城新伍 加藤武 夏八木勲 内田朝雄 長谷川明男
   八名信夫 汐路章 室田日出男 鈴木瑞穂 小林稔侍
   曽根晴美 志賀勝 松方弘樹 小林旭

ストーリー
昭和38年春、西日本広域暴力団明石組とライバル神和会との代理戦争とも言うべき明石組系の打本組(広島)と広能組(呉)、神和会系の山守組(広島)の広島抗争は激化する一方だった。
同年5月相次ぐ暴力事件への市民の批判と相まって、警察は暴力団撲滅運動に乗り出し“頂上作戦”を敷いた。
その頃、呉市では広能組が、山守組傘下の槙原組と対立していた。
広能と打本は、広島の義西会・岡島友次に応援を依頼し、中立を守る岡島を明石組の岩井も説得する。
やがて、広能組の若衆河西が、槙原組の的場に射殺されたことから、広能と山守の対立は一触即発となった。
一方、広島では、打本組々員三上が、誤って打本の堅気の客を殺害したことから、一般市民、マスコミの反撥が燃えあがり、警察も暴力取締り強化に本腰を入れはじめた。
その頃、山守組系の早川組若衆仲本が女をめぐって打本組の福田を襲撃して惨殺し、山守組傘下の江田組々員が打本組の若衆に凄絶なリンチを加えて一人を死に至らしめたが、打本は弱腰から報復に出なかった。
広能は、岩井の発案で、殺された組員河西の葬式を行なうという名目で、全国各地から応援千六百人を集め、一気に山守組に攻め込もうとした。
しかし打本が山守系の武田組に位致され、山守に脅迫されたために広能の計画を吐いてしまい、山守は早速、警察に密告したため、広能は別件容疑で逮捕され、明石組とその応援組員は呉から退去させられる。
ここに形勢は逆転し山守、福原が呉を支配するようになった。
以後も、広熊組と槙原組との間に、血の応酬が相次いだ。
暴力団追放の世論が沸騰し、警察と検察当局は幹部組長一斉検挙に踏み切り、やがて山守は逮捕された。
一方、岩井は、広島に乗り込んで義西会を中心に陣営の再建に着手し始めるが、武田は暴力団を糾合して岩井の挑戦を真っ向から受けて立った。
武田組と岩井組の間で、激烈な銃撃戦の火ブタが切って落された。

寸評
人気に乗じて第5作「完結編」が高田宏治の脚本で撮られたが、本作はこれが最後と思っていた笠原和夫による最後の脚本で撮られているのだが、これが最後と意気込んでいる割にはパワーが落ちている。
第一はこのシリーズの主人公である菅原文太の広能が途中でフェードアウトしてしまっていることだ。
実録路線ということで事実はそうであったのかもしれないが、映画として見れば途中で主人公が消えてしまったような感じで拍子抜けする。
シリーズを重ねてきたために出演者がいなくなってしまったためか、第一作で強烈な印象を残していた坂井の松方弘樹が義西会の藤田として登場しているなど、従来の登場人物の継承が薄れていることも興味を削いでいて、そのことは梅宮辰夫にも言えることだ。
凄みをきかせて存在感があった松永の成田三樹夫が出ていないのもファンとしては淋しいものがある。
スケジュールの都合で、異色のキャラクターだった千葉真一の大友勝利が登場しない事になったのは残念至極で、彼が登場していればまた違った雰囲気になっていただろう。

市民社会とマスコミの暴力団に対する非難の目とそれに呼応した警察による暴力団壊滅作戦が一つの軸となっているが、映画の中身は終始暴力団員が中心となっている。
タイトルの副題が頂上作戦となっているように最後には組長たちが逮捕されていくが、むしろ組長の押さえもきかない若者たちの暴走がメインのような内容である。
打本会の打本(加藤武)や川田組の川田(三上真一郎)などの組長が優柔不断で頼りない中で、配下の子分たちは血気にはやり敵対陣営に戦いを挑み死んでいく。
一般市民に犠牲者が出たことで、社会もマスコミも暴力団追放の動きを見せ、そのことで警察、検察も壊滅作戦を行うことになる。
マスコミに煽られた国民の声に政策変更をする政府を見ているようで情けないものを感じる。
逮捕された広能と武田が粉雪の吹き込む裁判所の廊下で震えながら、もはや自分たちの時代でないことを語るシーンはなかなかいい。
広能や武田達の刑期に比べれば、打本や山守の刑期は短いもので、広能は「間尺に合わん仕事をしたのう」と自嘲気味に語る。
震える素足の足元を映して彼らの終焉を描く名場面となっている。
シーン的にいいのは義西会会長の岡島(小池朝雄)が山守組の吉井(志賀勝)によって射殺される場面で、定番となった斜めに構えたカメラと、庭の花や小枝越しに志賀勝をとらえるショットが秀逸だ。
岡島は同窓会に出席していたのだが、射殺現場を見て呆然とする恩師や同窓生たちに吉井の志賀勝が「皆さんが見ての通りです」と言って去っていく描き方もクールでしびれる演出だ。

映画は基本的に娯楽なので、登場人物に感情移入させるためにヤクザを魅力的な存在であるかのように描きながらも、一時的にはヒーロー的に扱われるキャラクターも最後には無残に殺される場面が多いのもこのシリーズの特徴でもあったのだが、本作においては一体誰が英雄的キャラクターとなっているのか分からない。
広能と武田のやり取りに象徴されるように、ヤクザ社会においても世代交代はやってくるものだと言う事がテーマとなっていたのかもしれない。