おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ジョーカー

2022-09-02 07:09:22 | 映画
「ジョーカー」 2019年 アメリカ


監督 トッド・フィリップス
出演 ホアキン・フェニックス ロバート・デ・ニーロ
   ザジー・ビーツ フランセス・コンロイ
   マーク・マロン ビル・キャンプ

ストーリー
大都会ゴッサム・シティは市の衛生局がストライキをおこなってゴミ収集を停止しているために腐臭が漂い、そしてそれは政治の機能不全の象徴でもあり、貧富の差は拡大し人々は暴力的になり何もかもが疲弊していた。
そんなゴッサム・シティに住むアーサー・フレックは貧しい道化師で細々と母親ペニーと2人で暮らしていた。
アーサーは脳と神経の損傷から、緊張すると笑いの発作に襲われる病気を患っていた。
母親は心臓と精神を病み、30年も前に仕えていた大富豪トーマス・ウェインへ送った、助けを求める手紙の返事を待つ毎日である。
アーサーは街の福祉予算の削減で、カウンセリングと向精神薬の打ち切りが告げられた。
さらには、ピエロ姿で閉店セールの宣伝をする仕事中、ストリートギャングの若者に袋叩きにされてしまう。
同僚のランドルがアーサーを慰め、「これで身を守れ」そう言って差し出したのは紙袋に包まれた拳銃だった。
後日、小児病棟でのピエロ姿での仕事中、アーサーは誤って拳銃を床に落としてしまい、ハハプロダクションを即刻解雇されてしまうが、ランドルは自分が渡した拳銃であることを否定してアーサーを裏切る。
ピエロ姿で着替える余裕もないままアーサーは地下鉄に乗った。
電車内ではトーマス・ウェインの会社で働く3人のエリート・ビジネスマンが女性に絡んでいた。
その女性は視線でアーサーに助けを求めるが、ストレスのせいか発作の笑いが抑えられないアーサーをビジネスマンたちはからかい袋叩きにする。


寸評
僕はバットマン・シリーズを見ていないのでジョーカーがいかなる悪役なのかを知らない。
しかしそんなことは関係なくこの作品を見ることができた。
アーサーはサンドイッチマンの仕事で糊口をしのいでいたが、彼には緊張すると笑いが止まらなくなる持病があり、それが原因のトラブルが絶えない。
いつかコメディアンになりたいとの夢を持ち、最下層の暮らしの中で頑張っているが、福祉補助を初め彼ら親子を支えていたものを次々と失っていく。
映画はそんなアーサーを通じて貧富の差がもたらすゆがんだ社会の姿をあらわにしていき、アーサーはジョーカーへと変身していく。

泣きながら笑っているような表情、持病の笑いに当初は嫌悪感を抱かせていたのに、徐々にアーサーへの同情や共感を誘い出していく。
やがて共感は誰もがジョーカーになり得るのだと言う警告を僕たちに発してくる。
群衆が同じピエロのお面をかぶって不満を爆発させることがその表れだ。
上流階級はアーサーと別世界にいる。
市長候補は大豪邸に住んでいるし、テレビのキャスターはアーサーを見下したような態度を見せる。
舞台では売れっ子芸人が堂々たるトークで人々を笑わし、お客はそのジョークを堪能している。
アーサーは彼等の前で「子供の頃にコメディアンになると言ったら笑われたが、コメディアンになった今は笑われない」と自虐ネタを披露するしかない。

アーサーは町では少年の暴行を受け、職場では上司にけなされ、家に帰れば精神を病んだ母親の世話をしなければならない。
弱い者だけが我慢して被害を受けていると言っているようである。
アーサーがトーマス・ウェインに自分の出自を聞く場面から映画は終局に向かって一気に動き出す。
アーサーはそれを確かめるために州立病院へ行き母ペニーの入院記録を調べる。
すると、自分は養子でそもそも母親と血縁関係にないこと、母親は精神疾患を患っていたこと、母の交際相手の男性がアーサーを虐待して脳に損傷を負わせたという事実を知ることになる。
アーサーがこれまで信じていた愛や絆はすべて幻想だったというのに驚くが、救いを求めに行ったソフィーとの関係はさらに衝撃的だ。

自分はピエロと我慢して虐げられてきた人々が目覚めた時、社会はあっけなく崩壊していくのかもしれないのだ。
タクシーの上で息絶えたかと思われたアーサーが見事に復活する姿はまるでキリストの復活だ。
エリート社員の3人を殺したアーサーは群衆にとって英雄なのだ。
アーサーはおざなりな態度を見せる社会福祉士のような女性も殺したのだろう。
靴に血糊をつけて踊りまくる。
映像と音楽も素晴らしいし、どこからがアーサーの妄想なのかもわからなくなる描き方にも唸らされた。
傑作だと思う。