おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ローマの休日

2020-07-31 08:29:38 | 映画
「ローマの休日」 1953年 アメリカ


監督 ウィリアム・ワイラー
出演 オードリー・ヘップバーン
   グレゴリー・ペック
   エディ・アルバート
   ハートリー・パワー
   ハーコート・ウィリアムス
   マーガレット・ローリングス

ストーリー
ヨーロッパの各国を親善旅行中のある小国の王女アン(オードリー・ヘプバーン)がローマを訪れたとき、重なる固苦しい日程で王女は少々神経衰弱気味だった。
侍医は王女に鎮静剤を飲ませたが、疲労のためかえって目が冴えて眠れなくなって、侍従がいないのをよいことに王女はひとりで街へ出て見る気になった。
が、街を歩いているうちに薬がきいてきて広場のベンチで寝こんでしまった。
そこへ通りかかったアメリカの新聞記者ジョー・ブラドリー(グレゴリー・ペック)は、彼女を王女とは知らず、助けおこして自分のアパートへ連れ帰った。
翌朝、彼女が王女であることを知ったジョーは、これこそ特ダネ記事をものにするチャンスと思い、ローマ見物の案内役をひきうけた。
一方、王女失踪で大使館は上を下への大騒ぎ、しかし、世間に公表するわけにも行かず、本国から秘密探偵をよびよせて捜査に当らせた。
その間に、2人の胸には深い恋ごころが起っていた・・・。


寸評
オードリー・ヘプバーンに始まってオードリー・ヘプバーンに終わるといしか言いようのない映画だ。兎に角、可憐でチャーミングな仕草がくすぐったくなるような心地よさを提供してくれる。皇室の堅苦しさを理解している日本人にとっては、無条件に飛びつける作品となっている。オードリーなくしてはあり得ない作品で、リメイクなどは考えられない作品だ。
ワイラーはグレゴリー・ペックに自分が目立つのではなく、どうしたらオードリーの魅力が引き立つかという演技を要求しているが、それに応えたオードリーは正に妖精。可憐で汚れなき王女をスクリーン一杯に歌い上げた大人のお伽噺だ。
イタリア観光の宣伝映画かと思うくらい名所旧跡が登場する。先鞭をつけるようにそれらを背景にクレジットが流れて、否応なく行ったことのないローマに誘われる。そして作品中ではダイジェストのように見せてくれる。
王女がイギリスを訪問した時のロンドンでのパレード、フランスを訪問した時のパリのパレードなどはニュース映画か何かの借り物だとは思うが、王女がすごい歓迎を受けている雰囲気は出ていた。
続く舞踏会でのシーンで、出席者の挨拶を立礼で受ける王女がドレスに隠れた中で靴を脱いで足を休めるシーンが出てくる。このシーンを見れば、この作品がシリアスドラマではなく、ちょっとお転婆なお姫様の物語だということが分かり、作品が持つ雰囲気の世界へ導かれる。
つまらないスケジュールに追われる彼女がお抱えの医者に睡眠剤を打ってもらい、医者から「当分きままにすることが体のために良い」と声をかけられている。それに従ったわけではないが、彼女が起こした騒動の正当性を担保する会話で気が効いている。
王女が宿泊先の宮殿から抜け出し、ピザ屋の車に隠れて夜のローマに出かけてからはオードリーの魅力が爆発。
スペイン広場の階段シーンでアイスクリームを食べる姿、観光名所をスクーターに乗って走り回る姿も目に焼き付く。これに寄り添うように走るカメラマンの小型自動車もメルヘンチックでなかなか味がある。
真実の口での驚きの表情は忘れられない。
この真実の口シーンは、グレゴリー・ペックがアドリブで手を失くして、オードリーが本当に驚いた表情を撮ったらしい。それが真実なら、この頃のオードリーは本当にイメージ通りの女性だったのかもしれない。
ヘプバーンと言えば、アメリカではキャサリンらしいが、日本では断然オードリーだと言うのはこの「ローマの休日」の彼女によるところが大きいと思う。

閑話休題
スペイン広場で2人が語り合う場面がある。時間にして1分にも満たないが、その時に階段下から撮ったカットで、後景に教会の鐘楼の下の時計が映っていた。カットのたびに時計の針が大きく動いており、このカットが何時何分に撮影されたかが分かり、広場の撮影に2時間以上も要していたことが分かる。
しかしデジタルリマスターされた時に、この時計の針は修整されたらしく今では確認することは困難ではないかな。
かつて「ローマの休日」を語るときに必ず映画ファンの間で話題になったスペイン広場の時計であった。
デジタル処理と言えば、脚本家名がアナログ時にはイアン・マクレラン・ハンターだったのに、デジタル版ではダルトン・トランボとなっている。
デジタル処理は何でも出来てしまうんだなあ・・・。