おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

老人と海

2020-07-29 07:41:26 | 映画
いよいよ終盤。
「ら」行の最後「ろ」です。

「老人と海」 1958年 アメリカ


監督 ジョン・スタージェス
出演 スペンサー・トレイシー
   フェリペ・パゾス

ストーリー
彼はメキシコ湾流に小船を浮かべ、魚をとる歳を取った漁師だ。
しかし、もう84日も1匹も釣れない日が続いている。
はじめは少年がついていたが、不漁が続くので親のいいつけで別のボートに乗り組んでしまった。
しかし少年は老人が好きだ。5つの時生まれてはじめて漁につれていってくれたのは彼だった。
少年と老人は小舟を海に押し出す。
沖に出て1人になると、老人は餌のついた4本の綱を水中に下し、汐の流れに船を任せた。
綱がぐっと引かれる。信じられぬほどの重みだ。老人は綱を引くが魚は引寄せられない。
魚と、それに引かれる老人の舟は、静かな海を滑っていく。「あの子がいたらなあ」--老人は声に出した。
魚はその姿を海面に現わしたがそれはダイビングの選手のような鮮やかさで、再び水中に消えてしまった。
夜、老人は突然眼が覚めた。
魚は物凄い勢で海上に跳ね上がる。ボートは引きずり廻される。こうなるのを待っていたのだ。
3度目の太陽が上る。一晩中続いた死物狂いの暴れようが落ちついて、老人は綱をたぐりはじめる。
そして両手を血だらけにしながら、銛をぐさりと魚の胴体に打ちこむ。気がつくと海は一面に血汐で真赤だ。
頭をへさきに、尻尾を艫先に結びつける。1500ポンドはあるだろう。
最初に鮫が襲ってきたのは、1時間後のことだった。
夕暮近く2匹、日没前に1匹、また2匹、銛をふるっての応戦に老人が力尽きた時、魚の身に、もう喰う所は少しも残っていなかった。


寸評
原作者アーネスト・ヘミングウェイの名前も「老人と海」という小説のタイトルも知っているが、僕はヘミングウェイの作品を読んだことがない。
原作を読まなくてもその内容を教えてくれるのが映画のいいところの一つだ。
ただし、原作の世界を忠実に表現できているか、原作が伝えたかったことが描けているかどうかはまた別問題。
読んでいないから何とも言えないが、本作はかなり原作の世界を表現しているのではないかと感じる。
そう思わせる一つに、小説を朗読しているかのようなナレーションが随分あって、それに映像が乗っかているような演出方法が取られていることがある。
大半は老人を演じるスペンサー・トレイシーの一人芝居なので、言葉と言えば主人公の老人が発する独り言かナレーションだけである。
大きなカジキマグロがかかった釣り糸(ロープといってもよい)を引っ張るだけの老人の姿を映しているだけなのだが、その単純な光景を飽きさせないのはスペンサー・トレイシーの名演と演出にある。
もちろん実写風景とプールを使った撮影とをうまく融合させたジェームズ・ウォン・ハウ、フロイド・クロスビー、トム・タットウィラーのカメラが寄与していることは言うまでもない。

少年が老人にあこがれを抱き慕う姿は「ニューシネマ・パラダイス」などでも見られた関係で微笑ましい。
老人が上位にいると思われる二人の関係は時として逆転している。
老人は少年にビールをおごってもらい、食事も提供してもらっているようだ。
しかし老人はそれを恥じることはないし、少年もそれを恩着せがましく思っていない。
少年は老人とコンビを組んで漁をしていたようだが、老人の不漁続きで今は別の舟に乗っている。
そこで大きな魚を釣り上げているというから、漁師としての技術は老人から受け継いだものなのだろう。
老人はこの場に少年がいてくれたらと度々思っているが、それは少年がいれば助かると言ったものを超えて、少年ならこの大物を引き上げることができるだろうと言う思いがあったのではないか。
老人は妻もなくした独り身だが自分の人生に悔いはないのではないか。
自分の持てるものを少年に伝えることができたという満足感がそうさせていると思う。

老人は「人間は殺されることはあっても負けるように造られてはいないんだ」と独白する。
観客である僕たちを叱咤激励している言葉でもある。
老人はキリストの再来なのかもしれない。
帆をたたんで背負いながら坂道を自宅へ帰る姿はゴルゴタの丘へ向かうキリストにダブル。
もう一つ、老人が度々見るのがライオンの夢だ。
彼が一番活躍していたであろう時期に見た光景でもある。
全盛時の思い出と懐かしみ、たくましさへのあこがれが夢となって表れているのかもしれない。
そう思うと、老人が巨大カジキマグロを仕留めたのは彼が見た夢だったかもしれないとの思いも湧いてくる。
波打ち際に残った骨格を見た観光客がサメだと言っていることがそれを後押しする。
人生は夢のまた夢なのだろうか。