「り」にたどり着きました。
「利休」 1989年 日本
監督 勅使河原宏
出演 三國連太郎 山崎努 三田佳子 井川比佐志
二代目松本白鸚 二代目中村吉右衛門
田村亮 岸田今日子 北林谷栄 山口小夜子
藤田芳子 十代目坂東三津五郎 嵐圭史
八代目中村芝翫 財津一郎 観世栄夫
ストーリー
天正10年、利休(三國連太郎)は茶頭として信長(松本幸四郎)に仕えていたが、6月の本能寺の変で信長は明智光秀に殺された。
数年後利休は信長の後継者として力を伸ばしてきた秀吉(山崎努)の茶頭となった。
利休は茶の湯を通して全国の武将を魅了し、わびの極致と言われる京都・山崎の待庵など贅の限りを尽くし自分の世界を築いていった。
しかし、石田三成(坂東八十助)が台頭してきてから、秀吉と利休の関係が狂い始めた。
まず利休の愛弟子でかつて秀吉の逆鱗に触れて所払いになった山上宗二(井川比佐志)が殺された。
さらに三成は秀吉に「利休が朝鮮出兵に疑義を抱いている」ともちかけた。
利休は茶室で秀吉と顔を合わせたが、朝鮮出兵に口を出したため、ますます秀吉を怒らせてしまった。
利休は京を退き、堺屋敷内に閉居するよう命じられた。
秀吉の正妻、北政所(岸田今日子)、ゆら(伊藤友乃)から利休の妻・りき(三田佳子)に便りが届き、詫びれば自分からも許しを乞うとあった。
しかし、りきからゆらへの便りには丁重な礼の言葉があるだけで、秀吉はさらに腹をたて、利休に切腹を命じたのだった。
寸評
自分の思いのままを出す山崎努の秀吉と、自分を殺して生きる三國連太郎の利休を対比しながら、二人の間の確執を描いていくが、二人の人間性に切り込んでいるとは思えず、何だか勅使河原宏の美的ワールドを見せられているような感じだ。
もっとも勅使河原の美的感覚は常人の及ぶところではない。
華道の家元だけあって朝顔の逸話を描いた一輪の朝顔、秀吉が持参した水盆に散らした梅の花と添えられた梅の小枝などは映画とは言えうっとりさせられる。
本物、あるいは格調高いレプリカを使用と聞いていることも手伝っているのだろうが、登場する美術品は美術スタッフが作ったものとは違う輝きを放っていたように思う。
単純人間の思い込みが多分に影響していると自覚はしているのだが・・・。
映画が始まると信長、利休、秀吉が登場するが、三人のかかわりを描くことをせずに物語はどんどん進んでいく。
信長は秀吉を「筑前」とか「サル」とか呼ばずに「秀吉」と呼んでいるのだが、聞きなれた呼び方でではないので何か意図があるかと思っていたら僕の思い過ごしだった。
何が起きるでもなく本能寺の変が起こり信長は消え去ってしまう。
したがって信長と利休の関係は描かれてはいない。
ステファノが本能寺から地球儀をもって逃げ出してくるが、どのようにして逃げ出してきたのか疑問だ。
秀吉が利休に茶室を作れと言えば、茶室は出来上がっている。
もちろん建築過程などは描く必要はないのだが、全体的に場面場面を紡いでいくような作りである。
しかし前述したように、その場面場面における衣装、セットは見応えのあるものである。
秀吉と利休の間の確執がなぜ起きたのかはよくわからない。
外のことは秀長に、内のことは利休にという逸話も描かれていて、当初は信頼し合っていた仲だったはずだ。
秀吉が利休の思い上がりを感じたのか、自分が卑下されていると感じたものなのか・・・。
利休は堺の商人で博多商人への対抗意識もあるし、使用人から陰口を言われているようにずるい側面も持ち合わせていたのかもしれない。
秀吉はそんな利休であるなら受け入れていたのだろう。
しかし利休は優れた文化人であったことも確かで、力で得ることが出来る天下人の地位に比べ、生まれながら持ち合わせている才能、特に文化的才能というものは努力しても得ることが出来ない。
秀吉は利休の文化的才能に嫉妬していたのかもしれない。
秀吉は大政所(北林谷栄)や北政所(岸田今日子)の前では尾張弁丸出しの田舎者なのである。
利休の三國連太郎も秀吉の山崎努も画面を圧倒する迫力を見せてはいるので、もう少し二人の間にある確執の本質を見せてほしかった気がする。
知られているように利休は秀吉から切腹を命じられるが、その切腹シーンはない。
竹藪の中を消えていく利休の後ろ姿で映画は終わっているが、その竹藪のシーンが勅使河原宏を感じさせるもので印象に残る。
「利休」 1989年 日本
監督 勅使河原宏
出演 三國連太郎 山崎努 三田佳子 井川比佐志
二代目松本白鸚 二代目中村吉右衛門
田村亮 岸田今日子 北林谷栄 山口小夜子
藤田芳子 十代目坂東三津五郎 嵐圭史
八代目中村芝翫 財津一郎 観世栄夫
ストーリー
天正10年、利休(三國連太郎)は茶頭として信長(松本幸四郎)に仕えていたが、6月の本能寺の変で信長は明智光秀に殺された。
数年後利休は信長の後継者として力を伸ばしてきた秀吉(山崎努)の茶頭となった。
利休は茶の湯を通して全国の武将を魅了し、わびの極致と言われる京都・山崎の待庵など贅の限りを尽くし自分の世界を築いていった。
しかし、石田三成(坂東八十助)が台頭してきてから、秀吉と利休の関係が狂い始めた。
まず利休の愛弟子でかつて秀吉の逆鱗に触れて所払いになった山上宗二(井川比佐志)が殺された。
さらに三成は秀吉に「利休が朝鮮出兵に疑義を抱いている」ともちかけた。
利休は茶室で秀吉と顔を合わせたが、朝鮮出兵に口を出したため、ますます秀吉を怒らせてしまった。
利休は京を退き、堺屋敷内に閉居するよう命じられた。
秀吉の正妻、北政所(岸田今日子)、ゆら(伊藤友乃)から利休の妻・りき(三田佳子)に便りが届き、詫びれば自分からも許しを乞うとあった。
しかし、りきからゆらへの便りには丁重な礼の言葉があるだけで、秀吉はさらに腹をたて、利休に切腹を命じたのだった。
寸評
自分の思いのままを出す山崎努の秀吉と、自分を殺して生きる三國連太郎の利休を対比しながら、二人の間の確執を描いていくが、二人の人間性に切り込んでいるとは思えず、何だか勅使河原宏の美的ワールドを見せられているような感じだ。
もっとも勅使河原の美的感覚は常人の及ぶところではない。
華道の家元だけあって朝顔の逸話を描いた一輪の朝顔、秀吉が持参した水盆に散らした梅の花と添えられた梅の小枝などは映画とは言えうっとりさせられる。
本物、あるいは格調高いレプリカを使用と聞いていることも手伝っているのだろうが、登場する美術品は美術スタッフが作ったものとは違う輝きを放っていたように思う。
単純人間の思い込みが多分に影響していると自覚はしているのだが・・・。
映画が始まると信長、利休、秀吉が登場するが、三人のかかわりを描くことをせずに物語はどんどん進んでいく。
信長は秀吉を「筑前」とか「サル」とか呼ばずに「秀吉」と呼んでいるのだが、聞きなれた呼び方でではないので何か意図があるかと思っていたら僕の思い過ごしだった。
何が起きるでもなく本能寺の変が起こり信長は消え去ってしまう。
したがって信長と利休の関係は描かれてはいない。
ステファノが本能寺から地球儀をもって逃げ出してくるが、どのようにして逃げ出してきたのか疑問だ。
秀吉が利休に茶室を作れと言えば、茶室は出来上がっている。
もちろん建築過程などは描く必要はないのだが、全体的に場面場面を紡いでいくような作りである。
しかし前述したように、その場面場面における衣装、セットは見応えのあるものである。
秀吉と利休の間の確執がなぜ起きたのかはよくわからない。
外のことは秀長に、内のことは利休にという逸話も描かれていて、当初は信頼し合っていた仲だったはずだ。
秀吉が利休の思い上がりを感じたのか、自分が卑下されていると感じたものなのか・・・。
利休は堺の商人で博多商人への対抗意識もあるし、使用人から陰口を言われているようにずるい側面も持ち合わせていたのかもしれない。
秀吉はそんな利休であるなら受け入れていたのだろう。
しかし利休は優れた文化人であったことも確かで、力で得ることが出来る天下人の地位に比べ、生まれながら持ち合わせている才能、特に文化的才能というものは努力しても得ることが出来ない。
秀吉は利休の文化的才能に嫉妬していたのかもしれない。
秀吉は大政所(北林谷栄)や北政所(岸田今日子)の前では尾張弁丸出しの田舎者なのである。
利休の三國連太郎も秀吉の山崎努も画面を圧倒する迫力を見せてはいるので、もう少し二人の間にある確執の本質を見せてほしかった気がする。
知られているように利休は秀吉から切腹を命じられるが、その切腹シーンはない。
竹藪の中を消えていく利休の後ろ姿で映画は終わっているが、その竹藪のシーンが勅使河原宏を感じさせるもので印象に残る。