おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ラストエンペラー

2020-07-03 07:50:40 | 映画
「ラストエンペラー」 1987年 イタリア / 中国


監督 ベルナルド・ベルトルッチ
出演 ジョン・ローン
   ジョアン・チェン
   ピーター・オトゥール
   イン・ルオ・チェン
   ヴィクター・ウォン
   坂本龍一

ストーリー
1950年、ハルビン駅では次々と中国人戦犯たちが送りこまれ、800人を越えるその人の中には“清朝最後の皇帝”愛新覚羅溥儀(ジョン・ローン)の顔もあり、様ざまな過去が彼の脳裏をよぎった・・・。
まだ何もわからぬ幼少(リチャード・ヴゥ)の頃、光緒帝は帰らぬ人となり、実質的支配者だった西太后(リサ・ルー)は、溥儀を紫禁城に迎え皇帝にと考えたが、溥儀の心の支えは乳母(イエード・ゴー)だけだった。
7年後、溥儀(タイジャ・ツゥウ)は、中国全土に革命の嵐が吹き荒れる中で、孤独の溥儀は、家庭教師のレジナルド・ジョンストン(ピーター・オトゥール)から数学やテニスなど西洋の文化を学ぶ。
15歳になった溥儀(ワン・タオ)は17歳の婉容(ジョアン・チェン)を皇后に、12歳の文繍を第二の妃に迎えた。
1924年、中華民国の軍人である馮玉祥のクーデターで、溥儀は紫禁城を追われ、ジョンストンが、婉容、文繍(ウー・ジュン・メイ)、女官らと共に英国大使館に保護することになる。
溥儀は、日本の甘粕大尉(坂本龍一)との日々を思い出していた。
蒋介石率いる国民党が上海を攻略し、溥儀の身を案じた甘粕は、日本公使館へ逃亡するように指示する。
民主主義に日覚めた文繍は離婚を申し出、溥儀の元を去り、かわりに日本のスパイであり婉容の従姉のイースタン・ジュエル(マギー・ハン)がやってきた。
やがて友人のジョンストンも帰国したが、1932年、全世界の非難にも関らず溥儀は“傀儡政府”である満州国の執権になり、2年後皇帝となった。
1945年8月15日、日本は無条件降伏を宣言、玉音放送を聞きながら、甘粕はピストル自決を遂げ、日本へ脱出しようとした満州国皇帝は、長春の空港でソ連軍の捕虜となった。
1959年、10年の収容所生活を経て、特赦された溥儀は庭師になってあの紫禁城を訪れる。


寸評
清朝は中国王朝の歴史において最後の王朝であり、溥儀はその王朝の最後の皇帝であるが、愛新覚羅溥儀という名は日本軍の傀儡国であった満州国皇帝であったこともあり親近感がある。
更に愛新覚羅という名前は溥儀の実弟である溥傑の長女愛新覚羅慧生が日本人男性と天城山で心中した事件でも記憶されているから馴染み深い。
しかし日本政府に翻ろうされた溥儀も、今や歴史上の人物となってしまっていて、多くの日本人からは忘れ去られようとしている。

映画は1950年に中華人民共和国の戦犯として政治犯収容所に送られ、「戦犯」としての自己批判を強要されるなかで、厳しくも善良そうな所長相手に「すべては儀式でしかなかった」と振り返りながら、自らの過去を回想する形をとっている。
この映画を重厚ならしめている最大の要因は紫禁城で撮影されていることだ。
セットでは表せないスケールと、本物が醸し出す雰囲気を画面いっぱいにまき散らしている。
中国政府がよく撮影許可を出したものだと思う。
そしてその圧巻シーンが、故宮太和殿での即位式の荘厳で華麗な場面であり、3歳の皇帝が居並ぶ将兵の間を駆け回るシーンは映画史に残る名シーンの一つだろう。
ここで渡されたコオロギ(キリギリス)が最後のシーンで生きて出てくるという映画的処理にも感動する。

前半は紫禁城での異様な生活が描かれ、王朝末期の腐敗と奇異な生活に興味が注がれる。
淋しさからか乳母のアーモの乳房に顔をうずめ授乳する姿を、先帝の妻たちが双眼鏡で眺めているシーンなどはゾッとするものがあった。
紫禁城から追放される乳母のアーモは溥儀にとっては初恋の人だったのかもしれない。
溥儀は紫禁城の中ではいまだに皇帝であり、宦官たちも皇帝あっての自分達であることを知っている。
皇帝には絶対の服従を見せているが、陰では宝物を盗むなどして私腹を肥やしている。
証拠隠滅のために宝物殿を燃やしてしまうなどやりたい放題で、さすがに溥儀は宦官を紫禁城から追放するが、その退去ぶりが本当かと思いながらも、本当だろうなとも思わせる。
というのは宦官たちは自分の切り取った一物を保管していて、それをもって退去して死ぬ時には完全な男として死ぬということが描かれていたのだ。

溥儀は自己批判中にニュース映画を見せられるが、その中に日本軍による南京虐殺が描かれ20万人を殺したと報じられている。
おそらくこれは中国政府のでっちあげだろうが、それを配慮した配給会社がそのシーンをカットしたところ、ベルトリッチ監督の抗議があり、再び追加されたとの逸話を有している。
監督は甘粕に切腹をさせたかったらしいが、これは坂本龍一の意見で見送られ拳銃自殺となっている。
どうやら実際の甘粕は服毒自殺だったようである。
文化大革命の中で溥儀は一生を終えるが、収容所所長を連行する紅衛兵たちもまた異常である。
文化大革命も異常さを感じさせるし、その延長線上にある中国という国も異常さを引きずっているような気がする。