おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

レスラー

2020-07-27 06:23:05 | 映画
「レスラー」 2008年 アメリカ


監督 ダーレン・アロノフスキー
出演 ミッキー・ローク
   マリサ・トメイ
   エヴァン・レイチェル・ウッド
   マーク・マーゴリス
   トッド・バリー
   ワス・スティーヴンス

ストーリー
ランディ(ミッキー・ローク)は若いころ、ザ・ラムというニックネームで知られる人気プロレスラーだった。
しかし今はどさ回りの興業に出場し、スーパーのアルバイトでトレーラーハウスの家賃を稼いでいる。
ある日の試合後、ランディは心臓発作を起こす。
そして、次にリングに上がったら命の保証はないと、医師から引退を勧告される。
ランディは場末のクラブを訪れ、なじみのストリッパー・キャシディ(マリサ・トメイ)に発作のことを話す。
キャシディはランディに、家族と連絡を取るように勧める。
ランディは、唯一の身内である一人娘のステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)に会いに行く。
しかし今まで父親らしいことをしてこなかったランディに、ステファニーはあからさまな嫌悪を示す。
心臓発作の話も、彼女の怒りに火を注ぐだけだった。
その話を聞いたキャシディは、ステファニーへのプレゼントを買いに行くランディに付き合うと申し出る。
2人は古着屋でプレゼントを買い、パブでビールを飲むと勢いでキスを交わす。
ランディはその日から、スーパーの総菜売場でフルタイムの仕事を始める。
ランディがプレゼントを手にステファニーを再び訪ねると、彼女は彼を許してくれる。
しかしランディはキャシディに交際を断られ、行きずりの女と一夜を過ごした挙句、ステファニーとのディナーをすっぽかしてしまい、激怒したステファニーは絶縁を宣言する。
ランディは仕事を放り出し、自分はプロレス以外に生きる道はないのだと悟り、カムバックを決意する。
全盛期の宿敵・アヤトラ(アーネスト・ミラー)とのリターン・マッチのチャンスを掴んだランディは、試合が行われるウィルミントンへ出掛けた・・・。


寸評
クレジットタイトルのバックにあるのは全盛時のランディの活躍を伝えるタブロイド紙で、その間は栄光の時代の実況放送が流れ続ける。
場面が変わると20年後のランディの姿で、彼はすっかり歳をとり疲れ果てたレスラーとなっていて、客の入りが悪いこともあって、わずかばかりのファイトマネーを受け取る。
自宅に戻れば家賃を払えていないので入ることができない。
まったく落ちぶれてしまったことが分かるが、近所の子供たちはなついていて嫌われ者にはなっていないようだ。
ざっと今のランディの状況が描かれるが、登場した時からミッキー・ロークのランディは雰囲気全開である。
ミッキー・ロークなくしてはありえないような映画で、彼はランディそのものと思わせるし、本職は役者ではなくプロ・レスラーではないかと思わせる。
もっとも映画を見ていると、役者もレスラーも似たところがあって、ショーを盛り上げるために小道具を用意し、試合前には対戦相手と周到に試合展開の打ち合わせを行っている。
楽屋裏とでも言うべき控え室の雰囲気は、プロレス興行の実態を上手く描いていたと思う。
僕の少年時代にはゴールデンタイムにプロレス中継があり、力道山をはじめとする日本人レスラーの活躍に心躍ったものだ。
プロレスは八百長だとわかってはいるのだが、彼等の多彩な技と流血などを目の当たりにすると、つい本物思ってしまう錯覚の世界に引きづり込まれてしまっていた。
そのあたりが彼等のエンタテナーとしての腕の見せ所なのだろうが、映画ではその為の打ち合わせシーンがよく出てきて興味深い。
流血の興奮のためにカミソリを忍ばせ、自ら額に切り傷を入れて出血を引き起こす。
見た目にはエグイけれど、傷穴は小さくて出血もあまりしないステープルという巨大なホッチキスで針を体にバンバン打ち込んだりもする。
治療シーンと試合のシーンがフラッシュバックされて、プロレスラーが過酷な職業であることが分かる。

せっかく人生をやり直そうとしても現実には簡単ではない。
いったん仲直りした娘とも再び仲違いして、転職した仕事でもトラブルを起こし、もはやカムバックするしかなくなったランディ。
リングにしか自分の居場所がないことを悟って、再び元の場所に戻ろうとする姿が、言いようのない切なさと哀愁を漂わせる。
ラストシーンは死へのダイブだったのか、それともワン、ツー、スリーのカウントが聞こえたのか?
ストリッパー役のマリサ・トメイもよくて、ランディと同様に忍び寄る歳と闘いながら必死に生きる女を好演していた。
彼女の心の動きも微妙に描かれランディの試合に駆けつけた彼女が見せる表情は実によかった。
生きることは切なくもある。
生活の糧を得なければならないし、生きる気力も必要なら、自分の居場所も必要だ。
忍び寄る年齢とともに体力の衰えを感じながらも、リングに戻っていくランディの姿はほとんどの男たちが味わうものなのかもしれない。
そんな切実感もこの映画に引きつけられる要因の一つなのだろう。