頑張って生きる。

元気だった主婦がある日突然、障害者になり、余命を宣告された。でも、頑張って生きようと心に決め一日を大切に過ごしてます。

生きているということ。

2006-11-29 09:47:13 | Weblog
国道27号線の自動車のとおりの激しい三叉路の真ん中で、まだ、生後間もない三男を抱きうずくまった。

小児科での1ヶ月検診で、目が見えないかも知れない。あまり、長く生きられないかもしれないと言われ、病院からそこまでの道をどうやって歩いたのかも記憶にない。

夫は、というと、当時、癌の手術後で、医者に余命3ヶ月と言われて入院中。

私は、三男を抱いて一緒に死のうと思ったのか、今は、記憶にない。

と、私の腕を思いっきり掴んで、車道から歩道へ引っ張り、三男を取り上げた中年の女性が大声だ怒鳴った。

「死にたいのなら、あなた一人で死になさい!この子の生きていく権利まで奪うことは許されない!」

と。

私は、その時、はじめて我に返り、大声で泣いた。

その、女性はそこの近くの子供の障害者施設の先生だった。

その後、落ち着いてから夫の入院する病院に行き、三男の事を話し、痛みのあるおなかを抱えながらの夫と、小児科へ行った。

泣いている私を見て、夫は、
「何で泣くのか?育てる自信がないのなら、誰かに育ててもらうか?」
私は、
「いや。」
と、答えた。
「それができないのなら、最後まで育てて行こう。」
と、言ってくれた。



比較的勉強もよく出来、おとなしい性格の長男が突然変異をした。中学2年の頃から、意味不明の言葉を発するようになり、家中のガラスや鏡や食器などを、壊しはじめた。
壊したことに悩み、親や兄弟に迷惑をかけていることに悩み、リストカットをしたり、何度も死にたいと口にした。
そのたびに私は、長男をしっかり抱きしめ、
「あなたが死にたいと思ったときは、お母さんも一緒にいくから、一人では行かないで。」
と、訴え続けた。

荒れ放題の我が家。目が離せない長男。病状が思わしくない三男。自分に、目を向けさせようと、わがままを言う次男。そして、姑の罵声。

本当に、地獄だった。

でも、その時に死ななかったから、今がある。頑張ったから今がある。長男は、まだ、時折、言葉は出るものの、理解ある女性と出会い結婚し、可愛い子供が二人もいる。
次男も、やさしい青年になってくれた。
夫も、頑張って抗がん剤の治療を繰り返し受けて、後遺症は少々あるものの、社会復帰をしてくれた。

三男は、7才で他界をしたけど、私たちにいっぱい思い出を残してくれた。

あの時、私の腕を引っ張ってくれた女性がいなかったら、私は、この世にいない。
長男が、自殺をしていたら、孫もいないし、今の、生活はない。

夫も、苦しいのに耐えてがんばってくれたから、今、夫婦で笑っていられる。

私は今、難病で限りある命と向き合っている。車椅子で少々、不自由だけど、可愛い孫の顔も見られるし、やさしいお嫁さんにも出会えた。次男と夫んのサッカーの試合にも見にいける。

あの時、死んでいたらこの笑い声はなかった。

生きて行く事も、決して、楽ではない。でも、生きていれば必ず、笑える日がくるはず。だから、頑張って生きて。

今、死にたいと思っている人に伝えたい。

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