頑張って生きる。

元気だった主婦がある日突然、障害者になり、余命を宣告された。でも、頑張って生きようと心に決め一日を大切に過ごしてます。

応援

2019-02-14 09:57:39 | Weblog
競泳の池江選手が、白血病である事を公表されました。

今から、20年位前の事ですが、関西では医療の最先端の大学病院の小児科で私は闘病する三男のそばで付き添いをしていました。

はるばる、地元、舞鶴から京都市内まで搬送された三男、そこに入院されている子供達は京都市内の方もおられましたが、北海道や九州から、子供の治療のためそこで生活されておりました。
私も、二人のお兄ちゃんを主人や実家に預け、当時、まだ幼かった三男と一緒に病棟の中で生活しました。

白血病の子供さんや、生体肝移植をされた子供さんなど、命を守るために一生懸命の医療関係者の方と子供の家族との生活でした。
三男も白血病ではありませんでしたが、同じような血液の病気でした。

幼い子供が命をつなぐため、辛い抗がん剤の治療にも耐え、部屋から一歩も出られないという自由の束縛にも耐え、その、我が子が苦しんでいる姿をただ、見守ることしかできないご両親。
そんな中での生活で、私は色々な事を経験しました。

自然にお互いの家族同士で、助け合う気持も出来てきて、症状が落ち着き4人部屋で闘病するようになってからは、同室の子供達と兄弟のように生活するようになりました。

この、幼い子供の命をつなぐため、自分の肝臓を悩みもせず移植を決意するご両親、一生懸命、ドナーを探すご両親、みんな、我が子のために必死です。

そんな中で仲良くして頂いた当時、中学生のお姉ちゃんがおられました。5才くらいだった息子はその、お姉ちゃんによく、遊んでもらい可愛がってもらっていました。
白血病で、いろんな治療をされていて、髪の毛は綺麗に坊主頭でした。でも、ウィッグをいくつか持ち、「これ、便利だよ!洋服に合わせてショートにしたり、ロングにしたり・・・」と、前向きに闘病している彼女でした。
でも、ある日、お母さんが帰られてから、息子の部屋に来て「おばちゃん、私って生きてる値打ちあるんやろか?命、助かってもいろんな治療してるから、結婚できるかわからない!結婚しても、お母さんになれるかも、わからない!私の命を守るために、色んな事犠牲にしてくれている両親に申し訳なくて・・・」と、泣きに来た事がありました。私は返す言葉が見つかりませんでしたが、自分の気持を正直に話しました。
「おばちゃんはね、おばちゃんの子供が生きててくれるだけでいいんや!親より先に死ぬなんて、耐えられへん!」と、話しました。

彼女はあまりにも、辛く長い治療で疲れていたのかも知れません。

その後、辛い治療を続け快方に向かい、無事、退院し、今は、三人のたくましいお母さんになりました。


一人の命をつなぐ事で、その先で待っている色んな事も可能にする。その人の、夢や希望、すべての事もつなぐ事が出来ると思います。

そのために、健康な方が出来る事は、ドナーになったり、献血をしたり、自分に無理なく出来る事を探して実行して頂く事ではないかな?と、思っています。



池江さんも、もちろん、ですが、たくさん病気で頑張っておられる患者さん、誰かを助ける事になると思います。

私も、血液の病気で今までにたくさんの輸血や、血液製剤で今、生きています。生きていたから、子供達の成長も見てこれた訳ですし、孫の顔も見ることが出来ました。主人や子供達、両親が悲しむ事もなかったわけで、献血をしてくださった方々に、感謝しております。

健康なみなさん、どうか、無理なく自分に出来る応援をしてください。たくさんの患者さんの未来につながるはずです。