ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

理想のキーボードを求めて

2022-11-25 06:32:21 | 日記
欲望は一つのモノ(あるいは一人のヒト)に執着するらしい。私は目下、「理想のキーボード」を求めて中国の通販サイト「Aliexpress」の泥沼の中をさまよっている。

え?その話はもう聞き飽きた、ですって?

ええ、たしかに以前、私は「理想のキーボード」を探していましたよ。視力が衰えてきたので、バックライトのついた視認性の良いキーボードが欲しくなったのです。

その結果、私がたどり着いたのは、「メカニカル・キーボード」の沼でした。私はその中から、視認性が良く、打鍵感にも優れた「理想のキーボード」を探し当てたのです。そしてしばらくの間、このキーボードを愛用していました。

しかし最近、私は気づいたのです。自分が探していたのはのはコレではない、と。どうやら私の指には、ごくごく普通のキーボードーーメンブレン方式かパンタグラフ方式のキーボードーーが合っているようなのです。

わかりやすくいえば、軽自動車に乗り慣れている素人ドライバーが、いきなり大型SUVの運転席に座ってしまったようなものです。

私が次に、視認性の良いバックライトの付いた、メンブレン方式のキーボードを探し始めたのは言うまでもありません。

ところが、これがなかなか見当たらないのです。日本のアマゾンのサイトには、このタイプはほとんど見当たらず、中国の通販サイトでも、Aliexpress以外には見当たらない。

数週間前、私が「これだ!」と思い、Aliexpressで取り寄せたキーボードは、いずれも私の期待を裏切るものでした。一つはdelキーが使えないので、失格。もう一つは、delキーが使え、バックライトも付いてはいるものの、視認性がイマイチなので、残念ながら失格でした。

私がブログを書き続けるのは、満足できるキーボードを思い切り叩きたい、という思いからなのですが、いつになったら「理想のキーボード」に出会えますことやら・・・。
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サッカーの夜

2022-11-24 09:48:48 | 日記
サッカー日本代表の浅野選手。彼がW杯ドイツ戦で鋭い逆転シュートを放ったとき、私を感動と興奮の波がつつんだ。「やった!」と私は叫び、「これで良かったのだ」と溜飲を下げた。
時刻は深夜の12時過ぎ。いつもならとっくに眠りについている時間だ。

毎日、私は夜10時前にベッドに入る。翌朝4時前には自ずと目が覚める。起き出して小用を済ませ、それからブログを書きはじめる。朝食を食べる8時までにはあらかた書き終える。

こんな習慣が身についたのは、必要に迫られた結果である。朝食を終えると、毎日、私は何かしらの雑用に時間を奪われ、ブログ書きに集中できなくなる。訪問看護師さんによるシャワー介助とストーマ・パウチの交換が、週に2回。訪問リハビリが週に1度。もう1日はデイサービスへの「出勤」である。何もないのは土・日だけ。これではまるで現役のまじめな会社員みたいではないか。

昨夜、W杯のテレビ放送を見ようかどうかと迷ったのは、このルーチン通りに事を運ぼうとすると、夜10時にはベッドに入らなければならないからである。翌日(つまりきょう)はデイサービスに出勤する日で、昼間はブログ書きに専念する時間がない。ブログを書こうとすれば、どうしてもそれは朝食前に済ませておかなければならないのだ。

しかし、しかしである。これは今に始まったことではなく、昔からのことなのだが、W杯とボクシングのタイトルマッチにはからきし目がない自分がいる。ええい、ーーと、私は独りごちた。ブログなんて、1日ぐらい休んだってどうということはないじゃないか。W杯は4年に1度なんだぞ!ブログを書くことによって得られる感動と、W杯を見ることによって得られる感動と、どっちが大きいかは分かり切ったことだ。

その通りだった。浅野の逆転シュートに感動して、わなわなと身を震わせる自分がいた。私は、自分の判断が誤りでなかったことを実感したのである。

そして明け方の今、私はこうして机に向かい、キーボードを叩いている。目が覚めたのが、いつもと同じ4時頃だった。体が身につけた生活習慣は、ちょっとやそっとでは変わらない。W杯もブログ書きも、どうにも止まらない?
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身辺雑記

2022-11-23 05:09:16 | 日記
きょうは私自身の話をしたい。

私は今、マグミットという薬を服用している。ストーマから出る便の硬さを調節するためである。基本的には毎食後1錠ずつ飲み、便を固く/緩くするためには、服用量を減らす/増やす、といった具合である。

この薬をもらうために、私は月に1度、筑波記念病院の主治医だったA先生の診察を受けているのだが、この病院までは妻の運転で30分かかる。おまけにこの病院はいつも混雑しているときている。

それでは不便だろうから、薬を出してもらうかかりつけ医を近所の医者に変えたらどうか、という話が持ち上がった。この話の発案者は週に2回、シャワーの介助とストーマ・パウチ交換のためにきてくれている訪問看護師さんである。

訪看さんのこの提案を受けて、きのうケアマネのMさんがわが家にやってきた。Mさんは、NクリニックのN先生が良いのではないかと言う。N先生なら、往診もしてくれるし、そのときにコロナ・ワクチンやインフルエンザ・ワクチンを打ってもくれるという。私がMさんの提案を了承したのは言うまでもない。


きょうは久しぶりに東京から娘がわが家にやってくる。私の退院祝のためだが、おばあちゃん(私の母)のお見舞いにも行きたいという。「ばばたん(私の妻)の家に行く」と言うと、子供たちが一緒について来たがるので、「おばあちゃんの老人ホームにお見舞いに行く」と言って家を出てくるのだとか。

私が入院していた頃、娘は「退院したら、とびきりのごちそうをプレゼントするね」と電話で言っていた。きょうはあいにく一日中雨の予報。尤も雨が降らなくても、会食のために外出する気力はもう私にはない。
娘には近所のスーパーで、大トロ入りの特上の握り寿司パックを買ってきてもらおうと考えている。
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国連討論会 林外相が議長になると

2022-11-22 14:29:53 | 日記
きのうは林外相の話題を取り上げた。林外相が国連安保理で、議長国の代表として「法の支配」をテーマに討論会を行う企画を検討していることを取りあげ、私なりに若干の危惧の念を申し述べた。

さて、きょうは何を話題に取りあげようか、と考えたとき、この林外相が「媚中派」と目されていることを思いだした。

思いだしたのは、正確にいえば、ブログのネタについてあれこれ思案をめぐらせていたときではない。「きょうは何を話題に取りあげようか」と考えても、何も良いアイデアが浮かばず、うんうんと呻吟していた。その時間は長く感じられた。その挙げ句、やっとのことで思いついたのが「林外相=媚中派」の話題なのである。

林外相は媚中派と目されているのではないかーー。
とはいえ私は、そのことについて確たる知識を持っているわけではない。さっそくネットに当たってみた。ヒットしたのは、以下のような情報である。

林氏は超党派の日中友好議員連盟会長を務める。党内などに『親中派』だとして、外相起用に否定的な声もある。これに関し『交渉をする上で相手をよく知っているのは知らないよりはいい』と述べた。
ウイグルの人権問題などについて『どう考えても深刻に懸念すべき問題だ』と話した。中国の人権に問題があると国際機関で認定された場合、他国と連携した制裁が検討対象として視野に入るとの認識を示した。

(日本経済新聞2021/11/8配信)

う〜む、林氏はどうやら中国の内情や人権問題について熟知した人物であるらしい。自分が(知日派ならぬ)知中派であることを否定しない態度は、決して悪いものではない。むしろ好ましいのではないか。

でも、これについてはどうなのだろう。次の記事を見て、私は「やっぱり!」との思いを禁じ得なかった。安倍元首相の国葬が行われた際の出来事である。

林外相は事前に台湾に対し、『蔡英文総統や、(安倍家の葬儀に駆けつけた)頼清徳副総統、立法院長らは参列しないよう』根回しをする。日本の『立場』を理解した台湾側が、王金平元立法院長(国会議長)、蘇嘉全前立法院長という大物『元職』の参列を決めると、次の手を打った。
台湾の参列者を指名献花の列には入れて体裁を整えつつも、国葬儀後に東京・元赤坂の迎賓館で行われた参列者挨拶(=岸田文雄首相が主催し、安倍昭恵夫人も同席)では、『出席は現職に限る』という謎ルールをつくって、台湾を排除したというのである。要するに、北京のご意向どおりの算段だったと報じられているのだ
。」
(zakzak10月7日配信)

つまり林外相は、中国政府の「ご意向」を忖度し、策略を弄して台湾からの参列者をオミットしたというのである。これを「中国の圧力に屈した」と言わずして、何と言うのだろうか。

中国政府の意向をつい忖度してしまう腰抜け・林外相は、覇権膨張主義の中国が「力による現状変更」を企てることに対して、「それは正義に反する」と、まともに正論をぶつけることができるのかどうか。それははなはだ心許ないと見なければならない。

いずれにせよ、自らが議長を務める国連安保理の討論会の場で、林外相は、中国に気を配る自分の立場と、(岸田内閣の公式見解である)拡大版・法治主義とを折り合わせる必要に迫られるだろう。これを安保理諸国の代表者がどう見るかは、とても興味がある。

もっとも、そのとき(来年1月)まで岸田政権が持つかどうか、よく分からないけど。
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法の支配と力による現状変更

2022-11-21 05:16:41 | 日記
法の支配は(国際社会における)平和と繁栄のための基礎であり、力による現状変更は許されない。ーー岸田政権はロシアのウクライナ侵攻や、中国の覇権膨張主義を念頭に、一貫してこの立場を貫いてきた。岸田政権の一翼をになう林外相も、同じ立場にたっている。

だが、法治主義の(国際関係への)拡大版とも言えるこの岸田政権の基本的立場は、どこまで維持できるものだろうか。国際社会における平和の基礎は「法の支配」にある、といっても、この「法の支配」の理念そのものが〈力〉の原理に左右されるとしたら・・・。

幸いなことに、日本民族は、(元寇の史実以外には)太古の昔このかた「力による現状変更」の脅威に曝されたことはなかった。

「今万国の公法恃むべしといえども、その公法をしてよくその用をなさしむるものは弾丸の力にあらざるなし」(国際法を頼るべきだといっても、その国際法を充分発揮させるものは武力以外にはない)
(『兵賦論』)

こう述べたのは、幕末から明治にかけて活躍した啓蒙思想家・西周である。この文章を書いたとき、西の念頭にあったのは、アジア諸国に西洋列強の侵略の波が押し寄せ、インド、中国などが次々に植民地化されているという極東の現実だった。この侵略の波を、彼はやがて日本にも及ぶ脅威として深刻に受けとめたのだ。

視野を日本一国から国際関係の場に広げ、今現在だけを見るのではなく、歴史的視野にたって広範に見渡せば、国際社会の秩序(国境)は決して固定したものではなく、何度も変更されてきたことがわかる。そうした変更の背後にあったのは、いつも強大化した国の武力であり、それはまさに「力による現状変更」の数々の事例だったと言えるだろう。

「力による現状変更」があちこちで何度も繰り返されてきたという、否定できない歴史的現実。日本人には信じがたいこうした現実は、西洋の知識人にはひょっとしたらありふれた「常識」なのかもしれない。そんな常識を持った西洋の知識人たちと討論したとき、岸田政権の基本的立場は「誤った認識」として葬り去られないのだろうか。

こんなことを危惧するのは、次の記事を読んだからである。

林芳正外相は20日、東京都内で講演し、来年1月に国連安全保障理事会の議長国として『法の支配』をテーマに公開討論を行うことを検討していると明らかにした。覇権拡大に動く中国やウクライナ侵攻を続けるロシアの動向を踏まえ、『(法の支配を)国際社会における平和と繁栄のための秩序の基礎とし、強化すべく行動する』と強調した。
(時事通信11月20日配信)

林氏のよって立つ常識は、国連安保理の討議の場では非常識になりかねない。林さん、大丈夫だろうか、と心配するのは、老婆心だろうか。
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