趣味は読書。

気ままな読書記録と日々思うこと、備忘録

ドラマ「家族ゲーム」

2013年05月31日 | テレビ
このドラマ、始まる前から注目していました。
故・松田優作さん主演の映画版が印象的でしたので。

しかも主演は、櫻井翔さん。
えっ?!という感じです。

でも、回を追うごとにどんどん引き込まれてしまいました。


中3の茂之役の浦上晟周くん。
いじめにあい引きこもっていたのを、
家庭教師として来た吉本荒野@櫻井翔くんに助けられるのです。

やはり、主演の櫻井翔くんがいいですね~
さわやかな笑顔の印象が強いのに、
正体不明の不気味さがとてもよく醸し出されていて、怖いのです。
口癖の「いいねぇ~」が、妙に耳に残ります。

あと、優等生の長男、慎一役の神木隆之介くんもいいと思います。
今時の高校生の鬱屈を、上手く表現していると思いました。

物語はどんどん不穏な雰囲気に包まれていきます。
少しずつ明かされていく謎と、家族の崩壊・・・。
どうなっていくのか、怖いけれども目が離せない、そんな感じです。。


『快挙』 白石一文

2013年05月29日 | 
白石一文さんの作品は、直木賞を受賞された、
『ほかならぬ人へ』を読んだ記憶があります。
内容よりも、その本の表紙の絵をよく覚えていました。

この『快挙』という新刊は、新聞広告を読んで興味を持ったのです。

 「変質しない夫婦関係などない。罪と罰を抱き共に生きる。
 それこそが、結婚。
 結婚の有り様をあなたに問う傑作夫婦小説」



主人公が作家を目指しているので、これって私小説?と思ってしまいます。
実際に著者が経験された事なのかな、なんて思うほど、
書くことの苦労や、生活感がにじみ出ているのです。

そしたら、モデルはご両親だとインタビューに答えられていました。
なるほど、お父様も直木賞作家でいらっしゃいました。

たとえ運命を感じる出会いをしても、結婚して年月が経つにつれ、
その関係性は変質していくものだと、語りかけてきます。
そしてそう変容した先に、それでも厳然とある夫婦、というものを描いています。
そこにたどり着くと、題名の「快挙」の意味がわかる気がしました。

夫婦であること、夫婦であり続けることこそが、夫婦たらしめる・・・。
まさに、「結婚の有り様をあなたに問う傑作夫婦小説」だと、思いました。。

一つ年をとりました。

2013年05月28日 | 日々のこと
先週誕生日が来ました。

当日には娘からプレゼントが届いたりして、
何だか嬉しくて、年取るのも悪くないなぁなんて単純。

年をとるにつれて、段々年齢の事が気に掛からなくなるのでしょうか?
以前ほど、いくつになった、なんて気にしなくなり、
おまけにいくつだか、あんまり意識していなかったり。
こうやって自分の年齢、忘れていくのかもしれないです^^;

子どもが家にいる頃は、家族の誕生日は、当日ではなく、
その前後の土日にお祝いしたりしていました。
子ども達も家を出ているので、
夫婦二人で気ままにささやかに乾杯かと思っていたのですが・・・。

今年は日曜日に、近所のイタリアンレストランに食事に行きました。
ちょうど息子も帰ってきていたのです。



何だか久しぶりのディナーです。
最近は「ウチご飯」「ウチ飲み」がお気に入りでしたが、
やはりこうして外でしっかりお食事というのも、気分が高揚していいものですね~
デザートのろうそく吹き消して、主役気分満点です。

お腹いっぱいになって、息子を見送り、ご機嫌な一日となりました。
こんな風に小さな幸せの一つ一つを積み重ねて、人生進んでいきたいな。。

『医者に殺されない47の心得』 近藤誠

2013年05月24日 | 
この本、売れてますね~
いつもながら、とても刺激的な題名で、思わず苦笑してしまいますが。



著者の近藤誠さん、2012年「第60回 菊池寛賞」を受賞されたそうです。

近藤誠さんといえば、やはり『患者よ、がんと闘うな』が印象深いです。
センセーショナルでしたし、論争も巻き起こっていましたね。
ちょうどこの頃、友人がガンを患っていたので、本もすぐに読みましたし、
論争の行方に注意をはらっていました。

近藤さんの著書だけでなく、図書館で手当たりしだいガン関係の本を借りて読みました。
目の前で苦しむ友人を何とかしたい一心でしたが、
何を信じてどうするのがいいのか、結局分からなかったです。

でも、近藤さんの著書はどれを読んでも説得力があって、
なるほどなぁと感じる所が多かったのです。
結局、それまで毎年やっていた検診を受けなくなったのも、この頃からです。

久しぶりに開く近藤さんの新刊は、やはり以前からの主張は変わらず、
「がんもどき」と「がん」の話が中心ですが、
医療を妄信してはいけないと、警鐘を鳴らしています。
病院にかかる、お医者さんに診てもらう、薬を飲む、といった事を
もう少し客観的に見てみる事は必要かもしれないと思いました。

それと、健康に長生きするためにとか、リビングウィルについてなどと、
やはり年齢を重ねられた内容になっています。

読み手の自分自身も年齢を重ね、老いや病、死というものが
より身近に感じられるようになってきました。
お陰で、以前読んだときよりもずっと落ち着いて読み進めました。
ただ妄信するのではなく、自分の中に消化された物だけ取り入れたいと思いました。

読後はそれぞれですが、一度読んでみるのもいいと思います。。



二胡日誌13

2013年05月22日 | 音楽
昨晩は二胡のレッスンでした。
発表会のDVDが出来上がってきて、配られたのです。

正直あまり見たくないかも・・・と恐る恐るかけてみたのですが・・・

撮影も編集も、先生の友人のプロの方がやってくださったので、
とても見やすい構成になっています。
お陰で何とか破綻なくまとまっていた感じでほっとしました。

それにしても舞台の上の緊張しきった顔といったら!
自分で自分の姿に苦笑い。
こんな経験もそうあることではないですよね~

発表会当日は他の方たちの演奏をゆっくり鑑賞できなかったので、
やはりこういったDVDがあるといいですね。
演奏スタイルも千差万別で、
いい音色を出すというのがやはり一番難しい事なのだと実感しました。

このところ練習もままならなかったので、これからまた頑張ろうと思いました。

とにかく先生の音色は抜群にステキで、いいお手本が目の前にあるのだから、
なんとか近付きたいと思っています。

後から始めた夫くん、手首のクイック上達して音色が少し良くなっていました。
身近なライバル登場に、ちょっとあせったりして。。

村上春樹さんに会いに 3

2013年05月17日 | 村上春樹
25分のスピーチの後、休憩無しで「公開インタビュー」へ。

会場は、ファンの熱気で暑いくらいで、
インタビューの前にジャケット脱いでおられました。
濃紺のTシャツに白紺のチェックの半そでシャツをお召しでした。

インタビュアーは、湯川豊さん。
デビュー以来の作品と内面の変化をたどっていきました。


「人間は、2階建ての家のようだ。
1階に玄関があり、リビングがあり、人が集まる場所である。
2階はそれぞれ個室に別れている。地下は、人々の記憶の残骸がある。
そして、地下2階・・・底がどこにあるのか分からない、
本当の人の心の奥底にある物語。」

「地下2階へは、下まで行く通路を見つけた人でないと行かれない。」

「地下1階の、記憶の残骸だけでも作品を作る事はできるけれど、
それは、温泉のお湯と、家庭風呂のお湯ほど温かさに違いがある。」

「地下2階へ降りていく作業は簡単ではないけれど、
ボクは、正気を保ったまま地下2階へ行きたいと思っている。」

「そこにある物語の主人公と共に体験していきながら、次はどうなるのだろうと
楽しみながら書いた小説である。」(最新作)

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に触れ、
最初は「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」の二つ作品だったが、
なかなか上手くいかず、結局一つの作品になったと。
「世界の終り」は、悪くはないが引きずりこむ力が足りないと思っているので
いつか書き直したいと思っていると、話されました。

『ねじまき鳥クロニクル』で重層的な世界を作ろうと試み、
書きながら主人公と共に壁抜けを体験したと。
そうして、さらに上のレベルに上がることができたと思うと話されました。

さらに『1Q84』では、初めて全部三人称で小説を書こうと試みたと。
それによって、描ける世界が格段に広がり、
感応する物語、共感を呼ぶ物語へと魂のネットワークを作りたいと、話されていました。


最初に、本来は自身の作品を読み返したり、
解説したりしないと明言されていたとおり、こんな風に胸のうちを明かすことは
好きではない事なのだと感じました。

尊敬する河合隼雄先生の魂に報いるため、公の場に出られたこと、
一つ一つに答える姿は、とても率直で正直な人柄がうかがえました。
イヤだと思うときには、嫌そうでしたし、
自分の感覚と違う部分には、明快に否定されていました。
インタビュアーに向かって、というよりも、
目の前のファンのために、ファンに向かって言葉を発していらっしゃいました。

「ちょっといいですか」と話を付け加えるように、
ファンに向かって、率直に、自分の言葉を伝えようとなさっている姿がありました。

まだまだたくさん話されていましたが、最後に
作家という仕事に対する矜持、手抜きをしないで物語を書いている事を
静かに、熱く語ってくださる姿がとても印象深く残っています。

まとまりなく長々書いてしまいました。
この日のことは、すぐに新聞やネットで記事になっていました。
ああ、そうそうこういうお話だったと読みながら感心してしまいました。
上手に要約されていますよね~

その場にいたものとしてできればその時の空気の熱さを、お届けできれば幸いです。。

村上春樹さんに会いに 2

2013年05月14日 | 村上春樹
せっかくの京都なのに、デジカメ忘れてしまいました!

携帯のカメラですが、写りはいかに・・・。

 
京大正門前。
正面に見えるのが会場となった、時計台記念館 百周年記念ホールです。

 

他人のことを「先生」と呼ぶことはまずないと、村上さん。
でも、河合隼雄さんは、違うのだと。
自然と河合先生と呼んでいたと話されていました。

そして、初めてお目にかかった時、一風変わった出会いだったと。

30分位の時間だったのだが、河合先生はほとんどしゃべらず、
あのどろんと重く深みのある眼差しで見つめていらしたと。
それは怖いくらいで、まるで、自分という人間を
判断しないで保留しておくというような感じだったと。
会談の中で沈黙の方が多かった気がすると、話されていました。

それが、2回目に逢った時は一転して顔つきも明るく、快活で、
よくしゃべり、よく笑い、和気藹々と楽しい時間を過ごしたと。
その後はずっとそんな調子でお付き合いが続いていったとのことでした。

最初の一風変わった出会いのことを振り返り、
たぶん、相手のありようをそのまま受け取めるという事をされていたのでは、と
話されていました。

「人の魂の奥底にあるもの、その物語を共有し、人と人を深いところで結びつける、
 深い場所に降りていくという事を共感してくれた人は、
 河合先生の他にはいない。」

「自分の物語を丸ごと受け止めてもらったのは、初めてのこと。」

「キャッチボールを受け止めて、フィードバックするような、
 有り難く、うれしいことでした。」

・・・・・と、最初のスピーチでした。

続きます。。

村上春樹さんに会いに

2013年05月10日 | 村上春樹
晴天の続いたゴールデンウィーク最終日の6日、京都にいました。

「村上春樹 公開インタビュー in 京都-魂を観る、魂を書く」のチケットが当たったのです。
とてもとてもうれしかったのですが、
当選を知ったのが、父の通夜の前日でした。
頭の中は大混乱の中にあり、とりあえず胸にしまっておきました。

ひと段落して自宅に戻ってきた時に、「さて、どうするか」と
考えました。

行くと決めても、GW最終日、新幹線のチケットは取れないし、
大混雑で帰って来れそうもないのです。

「さて、どうするか」
車なら何とかなりそうだという夫に頼み、前日5日から京都行きを決めました。

それから、中断していた『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を
もう一度読み始めたのです。
読み始めると一気に読んでしまい、結局何度も読むこととなりました。
この時感じたものを忘れないように、メモして京都に向かいました。

6日の京都は気温が上って暑いくらいでした。
京都大学の中に入るのは初めてです。
時間が近付くにつれ、報道陣の数が増えていきました。
ホールの前でインタビューされている人も何人か見受けられました。
何故だか緊張してしまいます。

会場内はほぼ満席で、若い人の姿が多いと思いました。
私は中央ブロックの前から2列目で、とても見やすい席でした。
オペラグラスも持参したのですが、いらないくらいでした。
私の斜め前の席に、作家の小川洋子さんが座ってらっしゃいました。

時間どうりに始まり、5分の紹介の後、
拍手の中、村上春樹さんが登場されました。
濃い茶系のジャケットにオレンジ色のパンツ姿です。
初めて聞く肉声は、思っていたよりもずっとよく通るテノールだと思いました。

最初は少し緊張した雰囲気で、とてもシャイな印象を持ちました。
でもそれは、想像していた通りですが。
そして、人前に出ることを普通にイヤだと思う、普通の人だという印象を持ちました。

最初のスピーチは、河合隼雄さんへの敬愛の念がにじみ出た温かいものでした。
河合隼雄さんの口調を真似して、おやじギャグを披露されたり、
河合隼雄さんに逢うのを薦めたのは、河合さんのファンであった奥様である事、
初対面での、河合さんの怖かった眼差しについてなどと披露され、
エピソードに事欠かない感じがしました。


取り留めなく、長々書いてしまいました。
今日は、ここまで。。

『色彩を持たない多崎つくると 、彼の巡礼の年』 村上春樹

2013年05月08日 | 村上春樹
手に取ることを心待ちにしていた新刊です。
開いてもすぐに読まずに、少しずつ少しずつ丁寧に読んでいこうと思っていたのに、
読み始めると止まらない・・・。

半分ほど読み進んだ頃、父が亡くなりました。



葬儀にまつわるあれやこれや、本当にあわただしい日々でした。
ちょうどゴールデンウィークに入ったので、時間が取れてよかったです。

読書が再開できたのは、多分この本だったからだと思います。
ただ、時間が開いてしまったのでまた最初から読み返すことにしました。

それでも、少し前に読んだ時の印象と変わらないことに気付いたのです。

痛々しい、生の感情というものを一番に感じました。

いつもの、乾いた感じのするクールさとは違う、
一歩人間の前に進み出た、痛みを感じる文章、描写だと思いました。

『ねじまき鳥クロニクル』から一作ごとに、
少しずつ少しずつ人間に近付いているような、
より具体的な感覚や感情のほとばしりを感じるのです。

これまでずっと遠巻きに見えていたものに、
だんだんと近付いているような錯覚に陥りました。
それは、まぎれもなく人の成長の姿なのかもしれません。

闇に紛れ、闇に閉じ込めてきた心の叫びに、耳を傾け、正面から向き合うという
強さ。
その強さを、成長することで人は身につけていくのかもしれないと思いました。
そうして、悲しみや痛みを受け止めることが本当にできるようになるのかもしれません。

今回初めて自分自身の物語として感じる事ができて、
何故だかとても不思議な心持ちがしているのです。
年齢のせいなのか、時間的空間のせいなのか、はたまた???

とても余韻の深い物語だと思いました。。