せっかくの京都なのに、デジカメ忘れてしまいました!
携帯のカメラですが、写りはいかに・・・。
京大正門前。
正面に見えるのが会場となった、時計台記念館 百周年記念ホールです。
他人のことを「先生」と呼ぶことはまずないと、村上さん。
でも、河合隼雄さんは、違うのだと。
自然と河合先生と呼んでいたと話されていました。
そして、初めてお目にかかった時、一風変わった出会いだったと。
30分位の時間だったのだが、河合先生はほとんどしゃべらず、
あのどろんと重く深みのある眼差しで見つめていらしたと。
それは怖いくらいで、まるで、自分という人間を
判断しないで保留しておくというような感じだったと。
会談の中で沈黙の方が多かった気がすると、話されていました。
それが、2回目に逢った時は一転して顔つきも明るく、快活で、
よくしゃべり、よく笑い、和気藹々と楽しい時間を過ごしたと。
その後はずっとそんな調子でお付き合いが続いていったとのことでした。
最初の一風変わった出会いのことを振り返り、
たぶん、相手のありようをそのまま受け取めるという事をされていたのでは、と
話されていました。
「人の魂の奥底にあるもの、その物語を共有し、人と人を深いところで結びつける、
深い場所に降りていくという事を共感してくれた人は、
河合先生の他にはいない。」
「自分の物語を丸ごと受け止めてもらったのは、初めてのこと。」
「キャッチボールを受け止めて、フィードバックするような、
有り難く、うれしいことでした。」
・・・・・と、最初のスピーチでした。
続きます。。
携帯のカメラですが、写りはいかに・・・。
京大正門前。
正面に見えるのが会場となった、時計台記念館 百周年記念ホールです。
他人のことを「先生」と呼ぶことはまずないと、村上さん。
でも、河合隼雄さんは、違うのだと。
自然と河合先生と呼んでいたと話されていました。
そして、初めてお目にかかった時、一風変わった出会いだったと。
30分位の時間だったのだが、河合先生はほとんどしゃべらず、
あのどろんと重く深みのある眼差しで見つめていらしたと。
それは怖いくらいで、まるで、自分という人間を
判断しないで保留しておくというような感じだったと。
会談の中で沈黙の方が多かった気がすると、話されていました。
それが、2回目に逢った時は一転して顔つきも明るく、快活で、
よくしゃべり、よく笑い、和気藹々と楽しい時間を過ごしたと。
その後はずっとそんな調子でお付き合いが続いていったとのことでした。
最初の一風変わった出会いのことを振り返り、
たぶん、相手のありようをそのまま受け取めるという事をされていたのでは、と
話されていました。
「人の魂の奥底にあるもの、その物語を共有し、人と人を深いところで結びつける、
深い場所に降りていくという事を共感してくれた人は、
河合先生の他にはいない。」
「自分の物語を丸ごと受け止めてもらったのは、初めてのこと。」
「キャッチボールを受け止めて、フィードバックするような、
有り難く、うれしいことでした。」
・・・・・と、最初のスピーチでした。
続きます。。