koboに現を抜かして、すっかり紙の本から遠ざかっていました。
紙の本、なんて変な言い回しですね。
でも、他に旨い言葉が見つかりません。
村上春樹さんの短編集が出ることも、また出たことも十分承知でしたが、
今回の反応は鈍かったのです。
実際、6篇の中の2篇は既に読んでいたので、
ぐずぐずして中々買いに行かなかったのです。
重い腰を上げ、書店に出かけ、本を手にしたら、
そんな気持ちもどこかに吹っ飛んでしまいました。
今回の短編集は、6編から成ります。
「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「木野」の4編は月刊「文芸春秋」に、
「シェエラザード」は文芸誌「MONKEY」に発表され、
表題作の「女のいない男たち」は、この短編集のために書き下ろされたそうです。
いずれの作品も、様々な事情で女性に去られた、あるいは去られようとする男性を描いていると、
著者ご本人のまえがきにありました。
こんなまえがきも珍しい・・・。
読み始めてすぐに思ったことは、「ああ、本はいいなぁ・・・。」
読書は、字を追うだけではなく、手に取った本の質感、重量感、装丁やら雰囲気やら、
一冊の本という個体を楽しむものなのだな、と思いました。
そして、そうして手に取った本のページをめくる、わくわくするあの高揚感。
最初の「ドライブ・マイ・カー」は、既に読んでいたのですが、
月刊「文芸春秋」で読んだ時と、まるで印象が違っていました。
どうしてなのか分からないのですが、今回の方がより共感する部分が多く感じられました。
そして、ふと、ある予感めいたものが沸き上がってきたのです。
こんな風に、自分の中に予感を持ちながら村上作品を読むことは、多くないです。
どちらかというと、これまでは見えないものの中に手探りで導かれるような感覚を持っていました。
そういえば、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んでいるときにも、
同じことを感じた事を思い出しました。
そんな風に変化を感じるのが、自分の年齢によるものなのか、村上作品の変化なのか全く分からないのですが。
ただ、作品の中に高い温度を感じることと、より物語が身近に迫って来るように思うのです。
深い喪失の物語は、切ない。
時に怒り、闇にさまよい、分かっていても引き返すことなどできない、思い通りにはならない。
読みながら、反対側の女性たち、というものを考えてしまいました。
とてもとても興味深く、面白い短編集だと思いました。。