内田先生のブログで
『先日の某所での講演は
まるで「コンクリートの壁」を前に話しているような感じであった。
何を言っても反応がない。
私の話を聴いているのか聴いていないのか、それさえわからない。
たぶんこの先生たちの教室はあまりうまく行ってないだろうと思った。
「人の話を聴く」というのは、かなり高度な能力だからである。
だって、聴いているだけなんだから。』
この箇所を読んで爆笑してしまいました。
さすが~内田先生!て感じ。
「人の話を聴く」ということにこそ
その人となりが見えてくるのです。
聴いているその人自身の
聴き方、つまりその表情や
椅子の座り方や
ちょっとした仕草の一つ一つから
話し手に対して
さまざまなシグナルを送っているのです。
‘非言語的なシグナル’とはそういった
言葉で発せられなくても充分感知可能な
文法を持った言語なのだと
内田先生は語ってらっしゃいます。
本来、子どもたちは家庭や学校で
この非言語的なシグナルの送受信を
学ぶものなのだが
教えるべき大人たちに
この能力が欠けてしまっているという。
世の中の大切なことって
ホントに目に見えなくて
説明しにくくて
結果のすぐ出ないようなものの中に
ほっこり、潜んでいるような気がします。
そして、この見えにくく説明しずらい事を
見事に説明解説してくれるのが
内田樹という人だと思います。
内田先生、ありがとう!!
『先日の某所での講演は
まるで「コンクリートの壁」を前に話しているような感じであった。
何を言っても反応がない。
私の話を聴いているのか聴いていないのか、それさえわからない。
たぶんこの先生たちの教室はあまりうまく行ってないだろうと思った。
「人の話を聴く」というのは、かなり高度な能力だからである。
だって、聴いているだけなんだから。』
この箇所を読んで爆笑してしまいました。
さすが~内田先生!て感じ。
「人の話を聴く」ということにこそ
その人となりが見えてくるのです。
聴いているその人自身の
聴き方、つまりその表情や
椅子の座り方や
ちょっとした仕草の一つ一つから
話し手に対して
さまざまなシグナルを送っているのです。
‘非言語的なシグナル’とはそういった
言葉で発せられなくても充分感知可能な
文法を持った言語なのだと
内田先生は語ってらっしゃいます。
本来、子どもたちは家庭や学校で
この非言語的なシグナルの送受信を
学ぶものなのだが
教えるべき大人たちに
この能力が欠けてしまっているという。
世の中の大切なことって
ホントに目に見えなくて
説明しにくくて
結果のすぐ出ないようなものの中に
ほっこり、潜んでいるような気がします。
そして、この見えにくく説明しずらい事を
見事に説明解説してくれるのが
内田樹という人だと思います。
内田先生、ありがとう!!
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