蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

歩き初め

2021年01月16日 | つれづれに

 文字通り、凍り付くような数日だった。積雪12センチ、蹲(つくばい)の滴りが、雪に覆われるツララとなった。南国九州と言っても、北部九州は裏日本気候であり、関東の青空に比べると、鈍色の福岡の冬空は暗く重い。
 僅か20メートルほどの坂道の為に、この程度の雪が積もると車が上がってこない。そのまま凍てつくから、タクシーや宅急便は勿論、救急車もチェーンを巻かないと上がって来られないのだ。
 息を潜めるように耐えて数日、酷寒は長くは続かなかった。気温が上がり雪解けが始まると、今度は雪爆弾が一晩中炸裂する。屋根に積もった雪がずり落ち、時折ドスーンと落下する。物干し竿を2本跳ね飛ばし、ラカンマキの垣根をバキバキと折って雪の塊が落ちる。迂闊に軒下に立つと、2階の屋根から落ちる雪塊に大怪我しかねない。雪国で雪下ろし中の転落や埋没事故死が続いているが、南国九州でも油断するとただでは済まない。

 温もりが戻ったところで、運転免許証の更新に出掛けた。いつも行くゴールド免許更新所は街中の地下にあり、後期高齢者講習を受けた自動車学校から、「密になるし換気も悪いから、福岡自動車試験場に行くように」と勧められた。マイカーで30分、閑散とした試験場で申請書を書き、更新手数料2,500円を払い、写真を撮られ、10分ほどで新しい免許証が交付された。
 取得したのは昭和38年11月30日、社会人になった年の冬だった。昭和という年号が、もう通用しない。1963年、57年前のことである。当時は、中型免許(8トンまで)を取得すると、自動的に大型自動二輪の免許が付いてきた。だから、今でもその気になればナナハンの大型バイクに乗ることもできる。(実は、高校生の頃、学校のグランド1周、無免許で走ったことがある。公道じゃないから、まぁ時効ということで……。)
 
 新たな免許証の有効期限は2024年(令和6年)2月18日まで。その時、コロナにやられていなければ、私は85歳を迎えている。だから自分なりには、最後の免許更新のつもりでいる。
 返納しても、生活に不自由ない社会になっていることを祈ろう。

 唐突に春が来た!数日前の「最高気温0度」から一転、17度を超える4月初めの桜満開の気温になった。コロナ籠り・冬籠りに倦んだ身体を奮い立たせて、カミさんと今年の「歩き初め」に出た。
 市の図書館の駐車場に車を置き、御笠川沿いの遊歩道に出る。雲一つない青空である。2か月余り後には、この道は満開の桜のトンネルになる。降水少なく、水量の減った川面に、昼下がりの日差しが眩しいほどに照り返し、吹く風に無数のさざ波が川面を覆う。その中をコガモの夫婦が掻き分けて泳ぎ、時折シラサギが羽音高く羽搏いて飛ぶ。
 冬枯れの土手に色彩は乏しいが、温かい日差しが何よりのご馳走だった。朱雀大路まで歩いて右折、大宰府政庁跡の広場に立った。毎年愛でる早春の花・シナノマンサクの蕾もまだ固く、わずかに黄色い芯を覗かせるだけだった。
 たまに行き過ぎる人の心象の為にマスクはしているが、この殆ど人気のない広場の空気の中に何の不安があろう!
 
 裏道を抜け、イノシシ防護柵に囲われた畑地の間を歩いた。道端に早くも咲いているオオイヌノフグリ、青空のかけらを散り敷いたような、早春の使者である。観世音寺に参って、図書館の駐車場に戻った。1時間半あまりの「のんびり散策、」5,000歩あまりの春風の先取りだった。

 一日限りの先駆けの春の後、再び寒波がやってくる。三寒四温を重ねながら、ゆっくりと春の足音が近づいていた。

 ――二兎を追う者は一兎も得ず。感染防止と経済を回すことはトレードオフ(二律背反)の関係にあり、両立を目指す菅政権の政策は不可能を強いるもの。リーダーシップなき首相は経済界にとっても“お荷物”でしかない――
 
 そんな記事をネットで見ても、もう腹も立たなくなった。麻痺し始めている自分が、少し恐ろしくなる昨今である。
         (             2021年1月:写真:照り返す川面のさざ波)