蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

殴りこむ春

2013年03月10日 | つれづれに

 春霞……ほのぼのと風情ある言葉が、恐怖感さえ抱かせる醜いものに変貌してしまった。昨年まで耳にすることもなかった「PM2.5」の警報が、今日も外出をためらわせる。花粉症とは異質の不快感が、目や鼻にくる。マスク姿が日毎に増える。報道で見る元凶となった国の都市の醜悪さ。蒸気機関車時代のトンネルの中のような目を覆う大気汚染が、連日西風に乗って容赦なく早春の山の姿を覆っていく。日本列島にエンジンを付けて、ハワイ沖まで遁走出来たらどんなにいいだろう!信じられなくなった隣国ばかりに囲まれ、為すすべもない為政者の弱々しい遠吠えだけが無様に響くのが腹立たしい。
 しかし、もう怖いものもない年齢である。大気汚染もものともせずに、ひたひたと木立の中を歩き続けた。

 町内自治会の反省会を終えて皆と別れ、久し振りに天神山の散策に出た。
天満宮に脇から入り、神殿に向かって果たせなかった初詣の合掌を済ませて、やや盛りを過ぎた梅林に抜ける。県道へのトンネルの手前、「お石茶屋」の横から仄暗い木立をくぐって胸をつく急な石段を登り、明るい山道に出た。梅林の梅見客の雑踏が嘘のように、此処は風の音だけが囁き抜ける静寂の小道である。
 反省会の後で出たグラス一杯のビールが胸を喘がせる。道の傍らに小さな石仏が並び、暖かな午後の日差しを長閑に浴びている。天開稲荷の境内を通って、いつもの天神山の尾根を巡る散策路に出た。

殴り込むような春の訪れだった。北国では猛吹雪が荒れ狂い、ここ太宰府でも数日前まで寒さに震えていたのに、24度というこの暖かさは何だろう。明日は又8度も気温が下がるという。三寒四温とはいうものの、まだ本当の春には遠いのだろう。腕まくりして汗を拭き拭き、ドングリを踏みながらいつもと逆回りで風の中を歩き続けた。

 シジュウカラが時折囀りを落とす。右下に遊園地を見ながら幾つかの起伏を越え、切り払われた竹林の脇を下ると車道に出る。梅見客の来ないこの辺りに、実は見事に枝垂れる梅が幾本もあることを多くの人は知らない。真っ盛りの枝垂れ梅を欲しい侭に愛でながら、立ち止まって足元を見る。ここが毎年1月の小春日に、「青空のかけら」を探す場所なのだ。 
 微かな早春の気配を人が知る前に、真っ先に此処の陽だまりにオオイヌノフグリが咲く。今年は入院していたから、この花を見たのはリハビリ入院先から外出して歩いた都府楼政庁跡辺りだった。そして、日本の早春を演出するこの花が、実は日本古来の花ではなく、明治時代にヨーロッパから侵入した外来種であることを入院中にいただいた本で知った。啓蟄からまだ日浅い今日、枝垂れ梅の足元を可憐に彩るのはホトケノザだった。
 並行する九州国立博物館への車道に渡り、また暫く歩き、職員やボランティアが出入りする裏口の横から博物館に降りて小休止した。天満宮へのエスカレーターに抜けるトンネルの脇から、雨水調整池のそばに建つ四阿に降りた。馬酔木が早くも満開となり、池のほとりの湿原に、一面の土筆が林立していた。いきなりの春の陽気が成長を加速し過ぎたのだろうか、いつになく細いツクシが足の踏み場もないほどに風に揺れ、林立するツクシに遠慮するのか、サギゴケとスミレが潜み隠れるように咲いている。

 すっかり開いてしまったネコヤナギや種子を散らせた後のウバユリの屹立を見ながら、100段あまりの階段を登り詰めて再び車道に出た。1週間を残すだけになった特別展に向かう車の列が動かない。待ちきれないように歩道を走ってくる人がいる。それを横目に見ながら、博物館裏山に続く散策路を登った。竹林を風がなびかせ、時折カ~ンと竹が打ち合う音が響く。山道を辿りついた奥、切り払われた笹の広場に行き着いて腰を下ろし、額の汗を風になぶらせながら木漏れ日を浴びた。時折、野兎が遊ぶ広場である。
 PM2.5などという煩わしい塵は、この木立の底には届かないと信じて、雑木林の中でふと雄叫びをあげて野性に還りたくなる……人間であることを忘れてしまいたい瞬間である。
                 (2013年3月:写真:林立する土筆)
   

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