蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

せせらぎに聴く

2019年12月01日 | つれづれに

 夜明けには程遠い午前6時過ぎ、ペンライトで足元を照らしながら歩き始めた。歩く人も、走り過ぎる車もない師走の朝だった。
 30分足らずのクールダウン・ウォーキングだが、楽しみは途中7か所ほどで聴こえる小さなせせらぎの音である。谷あいを開発した住宅地だから、何か所もの自然の湧水がある。我が家を出て坂道を下り、点滅信号を左に折れる。女子大がふたつもあるから、通称「学園通り」という。すぐに又左に曲がると、去年まで田圃だった小さな空間に出る。開発が進んで、今は僅か2枚ほどの田圃を残して、2~3千万の建売住宅が建設中である。
 そののり面沿いに、湧水を集める小さな流れがある。私の朝のミニ散策路は、そののり面沿いに緩やかに登り、やがて我が団地から児童公園、公民館、そして石穴稲荷神社に到る。その所々で、小さなせせらぎを聴くことができるのだ。仄明るくなった頃、お狐様に手を合わせて一日の安寧を祈り、小高い所に建つ筑紫女学園ののり面を巻いて住宅街に戻り、早起きのカラスやヒヨドリ、時にはキジバトの鳴き声を聴きながら我が家に帰り着く。

 せせらぎは、私にとって何よりの癒しの音だった。かつて、小学6年の頃から、中学、高校、浪人、大学、そして就職して8年間の名古屋暮らしの後に再び福岡に戻ってからも続けた、お気に入りの山歩きのコースがある。その一つ、「脊振山~金山」縦走コースに、いつも癒されるせせらぎがあった。もう、30回も歩いただろうか、若い頃は母校修猷館高校に近い脇山口からバスに揺られ、車を持ってからは那珂川町から峠を越えて、椎原という集落まで行く。
 ザックを肩に山道にはいって暫く登りあがると、やがてメタセコイアの林に出る。その傍らに、小さな谷川があった。そのせせらぎを聴きながら檸檬を齧ったり、昨年製造中止になった清涼菓子のカルミンを舌に転がしながら、谷水を掌に掬って憩う。時には岩の上に身を横たえて、せせらぎと小鳥の声に耳を澄ますこともあった。カミさんや二人の娘を連れて、谷川の淀みに釣り糸を垂れてハヤを釣ったこともあった。小さなサンショウウオを見付けて、精が付くからと生きたまま呑みこんだこともあった。

 後年40代の頃、不安神経症(パニック・シンドローム)に罹って九大病院に1年間かよったことがあった。安静剤よりも、医師のカウンセリングと自律訓練が効いてやがて回復した。仄暗いソファーに身を委ね、全身の力を抜いて「気持ちが落ち着いていて、両手両足が重たくて温かい。お腹の辺りが温かい……」という暗示をかけていく。最後に、自分の好きな言葉や情景を頭に浮かべる。1年も訓練に通うと、不安が生じた時に、その情景と言葉を頭に浮かべるだけで、気持ちが落ち着くようになった。昔々の、闘病生活である。その暗示に掛ける情景と言葉が、この谷川と「せせらぎが聴こえる」という言葉だった。

 「せせらぎ」には、もう一つの想い出がある。高校3年の頃、文芸部で幾つかの短編小説を書いた。その一つに、甘い甘い手紙文形式の「せせらぎに聴く」という作品がある。
 神奈川県足柄上郡山北町で、幾つかのミカン山を営んでいたのが父の実家だった。親友と1学期の修了式を教師公認でサボり、富士山に登った。その帰りに、ひとり実家を訪ねた。その際に従弟たちと辿った酒匂川、そして洒水の滝……その時のせせらぎの音をテーマにした作品だった。今読めば汗顔もののベタ甘の掌編小説だが、それも青春、懐かしさだけが蘇る。甘いけれども、自分では好きな小説だった。

 さて、縦走コースに戻ろう。
 谷川のほ畔での暫しの憩いの後、せせらぎを聴きながら更に登りあがると椎原峠に出る。尾根伝いに辿ると、やがて鬼が鼻岩の岩頭に立つ。月に一度と決めていた気軽な登山は、ほぼ此処が目的だった。絶壁に腰を掛けて握り飯を頬張り、汲んできた谷水で喉を潤す。春に登ると、博多湾に到る畑地は一面の菜の花と蓮華だった。黄色と紫のコントラストを眺めながら、思うままに心を解き放った。
 さらに金山に向かって尾根の稜線を辿る。漁師岩の岩頭を過ぎて下れば、小爪峠。そこから夕暮れの斜光を浴びながら椎原に下る。
 椎原~板屋峠~脊振山(1055m)~矢筈峠~椎原峠~鬼が鼻岩(840m)~漁師岩(893m)~小爪峠~金山(967m)~花乱の滝~石釜に到る縦走路、佐賀県と福岡県の県境を連ねる尾根道の一部を削り取ったコースである。手許に、すっかり茶色に変色してぼろぼろになった「九州の山」という登山ガイドブックがある。1968年発行の、当時は最も頼りになるガイドブックだった。脊振~金山縦走のページの隅に、「1972年5月3日、25回目の」というメモが残されている。
 ここにも青春の残り香があった。

 親しい友人が、オキナワスズメウリを蔓ごとひと抱え持ってきてくれた。早速、玄関脇の簾に絡ませ、師走を飾った。
 忙しない年の瀬が始まった。無事乗り切った1年に、様々な想いを馳せるひと月である。
            (2019年12月:写真:師走を飾るオキナワスズメウリ)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
脊振縦走 (英世)
2019-12-02 08:00:17
おはようございます。御無沙汰いたしております。
すっかり元気になられ安堵いたしました。
脊振縦走、私も何度訪ねたことだろうか。当時は車で行くことが多く、元の場所に戻らねばならないので、途中で引き返し、また別の日に反対側つまり三瀬から登ったものです。
今は車がないので低山の油山歩きばかりです。
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懐かしい山々 (蟋蟀庵ご隠居)
2019-12-02 09:52:49
英世 様
ご心配かけました。お陰様で、日常に還ってきました。
山は車がないと制約されますね。一方、車があるために、コースが制約されることもあるし…。
椎原に車を置くと、金山まで行けないということです。一度、花乱の滝近くでキャンプした夜に台風が頭上を通過、テントが腰まで浸水して遭難しかけたことがありました。帰り着いたら、警察に捜査願いが出されていたという……今では笑い話ですが。

低山も、通い詰めると結構楽しいものですネ。もっぱら、国立博物館裏山、天満宮裏山が日常の低々山散策路です。
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