蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

一陽来復…「初め」と「納め」と

2017年12月22日 | つれづれに

 冬至……1年の「納め」が近い天神の街では、今日もアジア系旅行者の姦しい囀りが飛び交っていた。コインロッカーやホテルのフロントに預ける習慣がないのか、それとも安全を信じられないのか、大きなスーツケースをガラガラと引き摺りながら観光して廻る姿が鬱陶しさをかきたてる。

 早朝に散髪を終え、免許証更新に出掛けた。渡辺通1丁目、ビルの地下にかつてはゴールド免許取得者のみに開かれていた優良免許証更新センターが、今では一般にも開放されているという。運転歴51年、ぶっつけられたこと3度、小さな自損事故4回、18キロのスピード違反が1度……30年ほど前のことだった。佐賀市郊外で、田舎道から出来たばかりの直線舗装道路走り出て、無意識にアクセルを踏み込んでいた。気が付いたら、バックミラーで白バイの赤いランプが点滅していた。ここは制限速度40キロだという。「この道で、それはないだろう」と思ったが、6500円の罰金に甘んじた。唯一の汚点だが、やがてそれも消え、以来ずっとゴールド免許を維持している。勿論、人身事故は一度もない。
 後期高齢者となり、屈辱的な認知度テストを受けた。意地でも満点を取ってやろうと無謀にも挑んだが、96点!49点以下だと、医師の診断が必要になる。「まあ、いいか」と二日後に後期高齢者講習を受けて修了証をもらった。そして今日である。呆気なく5分で新しい免許証を手にした。
 あと3年、これが最後の更新かなという思いがあった。しかし、西鉄五条駅で電車を待つ間に一緒になった町内の奥様から、「主人は、去年87歳で免許証を返納しました。まだまだ大丈夫ですよ」と励まされ、少し欲が出た。あと2回、更新出来る計算である……こんなほくそ笑みも「獲らぬ狸の皮算用」というのかな?(呵呵)

 博多座の観劇、アクロス・シンフォニーホールのコンサート、中洲大洋映劇でのシネマ歌舞伎……「カミさんと5人の仲間たち」と、何度も遊び歩いた1年。今日が最後の「納め」の一人街歩きだった。
 街中の舗装道路を10,350歩!山道の散策路と違って、みしみしと足腰にこたえる。天神地下街で天麩羅蕎麦を啜りながら、しばらく足を休めていた。

 何にでも「初め」と「納め」がある。「終わり」と言わないところに大きな意味がある。「終わり」には「始まり」がない。新たな年に、いろいろな意味の「初め」への期待を込めて、今年の「納め」のあれこれを重ねる時期である。そして、見知った顔を見掛けると、必ず「どうぞ良いお年を!」と声を掛け合う時節である。取り立てて変化があるわけでもない毎日なのに、この師走の風物詩にはやはり捨て難い想いがある。

 台所(キッチンなんて、洒落た言い方にはそぐわない)のガステーブル周りを磨き、トイレ掃除をし、1階から2階まで掃除機と雑巾を掛けて……少し膝や腰が疲れた後の街歩きだった。長女一家が久し振りで全員揃って帰省する。「帰ったら手伝うから、何もしないでネ!」といわれていても、やっぱり綺麗な部屋に迎えたいという親(馬鹿)心である。カミさんも「窓ガラスぐらい磨かせようね」と言いながら、気が付いたら自分でせっせとガラスを拭いているから可笑しい。
 両親が健在だった頃は、年末の仕事納めの後に満員の夜行列車に揺られて帰省し、実家の手伝いをするのが恒例だった。浪荒い海辺で障子を洗ったり、寒風の中で池の掃除をしたり、凍える手でキムチ漬けの白菜を絞ったり、大掃除やお節作りの手伝いをしたり…私もカミさんも、こき使われるのが当たり前だった。その厳しさを知るから、却って娘たちには楽させてやりたいと、ついつい思ってしまう。

 「冬至は太陽の力が一番弱った日であり、この日を境に再び力が蘇ってくることから、陰が極まり再び陽に還る日という意味の『一陽来復』といって、冬至を境に運が向いてくる……つまり、みんなが上昇運に転じる日なのである」
 ネットの解説に頷きながら、さて今年の「納め」を何にしようかと思いを馳せていた。

 この秋は、とうとうイトラッキョウが花を着けなかった。苛烈な夏が残した傷跡である。
 そしてキンモクセイの葉影には、まだ空蝉が一つ、木枯らしの中でしがみついている。もう遠くなった夏の忘れ物である。
                    (2017年12月:写真:イトラッキョウ)

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