蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

メジロのシャーベット

2014年01月22日 | つれづれに

 一面の銀世界だった。一日降ったりやんだりを繰り返しながら、積もることなく夜を迎えた。夜更け過ぎに本格的に降り出した雪が、屋根を、道を、庭を覆い、翌朝には5センチを超える純白のヴェールを一面に拡げていた。
 庭の木戸をくぐった猫の足跡だけが点々と軒を巡り、裏庭へと続いている。このところしきりに実を落とす八朔も雪を被り、綻び始めた蝋梅も、伸びている8本の水仙の花穂も雪を乗せて、久々の見事な雪景色だった。
 昨日までの骨に凍みるようなこの冬一番の寒気が、雪の中で急速に緩んできた。日差しは戻らなかったが、一日中軒から落ちる雪解けの滴の音を聴いていた。

 冬に生まれた者は寒さに強い……昔からそう言われているが、残念ながら私には当てはまらない。1月に生まれながら寒さにはいたって脆く、12月から2月までは心身共に冬眠状態となる。「春になったら起こしてくれ」……眠りにつく前、の毎晩の心の呪文である。
 玄関に「久松留守」という札を貼り、風邪から身を守る日々である。

 夏には滅法強く、真夏の日差しの下で日光浴も厭わないほど、苛烈な暑さは好きだった。しかし、ここ数年の36度を超える異常な猛暑は流石にこたえるようになった。その分、寒さへの耐力も一段と脆くなったような気がする。
 加齢……口惜しがっても、もう避けられない現実である。数日前の誕生日に、とうとう「後期高齢者」の看板を背負ってしまった。いち早く年末に届いたのが「後期高齢者医療被保険者証」である。今まで1割だった自己負担が、いきなり3割となり、扶養家族としで守られていた家内も、新たに国民健康保険に切り替えることになった。3月末までは1割負担の緩和措置が付くが、4月から2割負担となる。
 高齢化が加速する中で、国の政策は高齢者に冷たい。「よほどお金持ちか、保護を受けるように貧しいか、どちらかでないと長生き出来ないよ」と言われたことがある。その、どっちつかずの狭間の中に我が家の老後がある。

    目出度さも ちゅう位なり おらが春

 小林一茶、59歳の正月の句である。初詣のお御籤で小吉を引いた我が身に、共感すること頻りだが、ネットに詳細な解説があった。句の前文に

 「から風の吹けばとぶ屑家はくず屋のあるべきように、門松たてず煤はかず、雪の山路の曲り形(な)りに、ことしの春もあなた任せになんむかえける」

 「ちゅう位」というのは信濃地方の方言であり、あやふやとか、いい加減とか、どっちつかず、という意味だという。だから句の真意は「あなた(阿弥陀如来)に全てお任せするわが身だから、風が吹けば吹っ飛ぶようなあばら屋で、掃除もしないで、門松も立てず、ありのままで正月を迎えている。だから目出度いのかどうか、あいまいな自分の正月である」という意味なのだそうだ。

 振り落とされた八朔の一つを二つに割り、燈篭に乗せた。時折梅の木を訪れ始めたメジロに、今年もささやかなお返しをしようと数日前に置いたが、まだ啄んだ形跡がないままに雪に埋もれていた。雪解けの中から、こんもり雪を頂いた八朔が姿を現す。
 「うん、これはメジロのシャーベットだね」そんな夫婦の会話を交わしながら、まだ遠い春を想った。
        (2014年1月:写真:メジロのシャーベット)

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