蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

白髪三千丈

2017年01月23日 | つれづれに

 目覚めて時計を見る。6時10分。熟睡した筈なのに、妙に体が重いのは越年の気苦労の疲れのせいだろうか。いつものストレッチと膝のリハビリ体操、30回のスクワットをこなして、ふと気付いた。まだ暗い筈の窓の外がうっすらと明るい。
 カーテンを開けると、一面の雪景色だった。今冬2度目の積雪である。
 新聞と牛乳を取りに行き、雪を踏みながら八朔の下を通ると、ニコちゃんマークを悪戯書きした八朔の実が、うっすらと雪を被っていた。白髪頭のニコちゃん……まるで我が身を見るようで可笑しかった。

 この歳になると、もう白髪頭は必然である。「毛があるだけでも、羨ましい!」とよく言われるが、生まれつきの直毛・剛毛・多毛は父親譲りである。現役時代は、仕事柄無理して七三に分けていたが、汗をかいたり雨に濡れたりすると、無残な有様になる。だから、リタイアしたら早速短く刈り上げた。
 既に下縁部を除き殆ど白髪になっており、「日活アクションスターのなれの果て」と自称していたが、此処数年、何故か白髪の中に黒髪が復活し始めた。孫が「ジージの頭が黒くなってる!」と驚いている。
 早く真っ白になることを願っていたのに……何が原因で、黒髪が復活したのだろう?白髪の3大原因は、メラニン不足、過酸化水素の蓄積、成長ホルモン不足という。あるいは、男性ホルモン・女性ホルモン・成長ホルモンの微妙なバランスともいう。満たされた余生を送る日々が、積年のストレスを鎮めているのだろうか?

    秋浦歌    秋浦の歌(李白)
   白髮三千丈   白髪三千丈
   縁愁似箇長   愁いに縁りて箇くのごとく長し
   不知明鏡裏   知らず明鏡の裏(うち) 
   何處得秋霜   何れの處にか秋霜を得たる

  三千丈もあろうかという私の白髪は、 長年の愁いによって
  こんなにも長くなってしまった。
  鏡の中にいるのは確かに自分のはずだが、
  全く知らない誰かを見るようだ。
  どこでこんな、秋の霜のような白髪を伸ばしてしまったのか。

 「丈」は長さの単位、「三千」は数量の多いことの譬えで、年老いて長年の愁いのために、白髪が長く伸びてしまったという哀しみを詠った詩だが、三千とは、仏法の 「三千大千世界」にいう「三千」の語を、「極めて多い」、「極めて広い」などという意味で包括的な形容に使うようになったものであって、数字の「三千」ではない。また、中国特有の誇大表現でもない。
 「愁いに増えた白髪の多さは、継ぎ足していけば三千丈の長さになるだろう」と解釈することもできる。
 因みに、人間の髪の毛の本数を約10万本、髪の毛の長さを約10~15センチメートルとすれば、その延べ長10~15キロメートルとなり、このとき、三千丈という表現は、換算すると約9.99キロメートルのため、実際にはむしろ控え目なものであることになる。(ネットは、雑学を増やしてくれる)

 日が昇ると、ニコちゃんの白髪は呆気なく日差しに溶けていった。
 黄金色の禿頭は、もう私の写し絵ではない。
                 (2017年1月:写真:白髪頭のニコちゃん)