蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

波濤、限りなく

2016年11月03日 | 季節の便り・旅篇

 片雲漂う秋晴れの下、晩秋の日本海は何処までも穏やかに、26,594トン、全長183m、12層を重ねた「ぱしふぃっく・びいなす号」は、620人の乗客と220人の乗組員を乗せ、18ノットでゆったりと東に向かって航海を続けていた。
 7階のオープンバーに座り、染まるような海の色に見入りながら日常を忘れ、フローズン・マルガリータを啜って寛いでいた……筈であった。

 春の「飛鳥Ⅱ」の50,142トンに比べれば半分ほどのクルーズ船であり、冬に向かう日本海クルーズに多少の懸念はあったが、天候安定したこの時期なら大丈夫だろうという直感を信じて申し込んだのだった。
 4度目……初めてのクルーズは、当時アメリカ・ジョージア州アトランタに住む次女が招待してくれた、フロリダ州マイアミ発3泊4日のカリブ海クルーズだった。バハマに寄り、無人島に上陸して群がる熱帯魚と戯れ、船首で映画「タイタニック」のポーズを楽しむ、心躍る初船旅だった。
 2度目は115.875トンの「ダイヤモンド・プリンセス号」で辿った10日間のアラスカ・クルーズだった。バンクーバー沖で乗組員も初めて経験する大嵐に遭遇、家内が初めての船酔いを経験した。2,600人余の乗客の内、日本人は35人、その時の仲間とは、今でも付き合いが続いている。
 3度目は、この春、横浜まで2泊3日の「飛鳥Ⅱ」に乗り、明治座で歌舞伎を楽しんで空路帰る片道航海だった。
 そして、おそらく最後のクルーズになるだろうという想いもあって、客室最上階10階のスイートルームを奮発した。三夜ともドレスコードはカジュアルという気楽な航海、家内が行きたがっていた能登半島を含む「秋の秘境 隠岐の島と能登・輪島 おもてなしクルーズ」、往復1,563キロの船旅だった。しかも、日本一を誇る和倉温泉・加賀屋の「おもてなし御膳」が二日目の夕食に出るという。
 新聞に広告が出たその日に、躊躇なく申し込んだ。9段階あるクラスの上から4番目の「デラックス・ルーム」を申し込んでいたところが、旅行会社の手違いで枠がなくなり、お詫びに一つ上のスイート・ルームを3万円引きで提供するという。予算より二人で6万円オーバーしたが、此処まで来たらもう引き返せないではないか。

 午後4時、博多港を出て玄海灘に乗り出した途端、大きな揺れが始まった。折りからの北風にピッチングとローリングを繰り返し、前途に不安が走った。波瀾の船出だった。
 
 ……と、此処まで書いて、気力が萎えた。青空を一度も仰ぐことなく、中央廊下を真っ直ぐ歩けないほどの大きな揺れは、最終日の朝まで続いた。
 隠岐の島・西島の浦郷湾に沖泊まりして、波浪の中を小さな観光船で船曳運河を越えて国賀海岸を周遊。摩天崖、通天橋、観音岩、明暗の岩屋も波浪の中。港に戻り、バスで赤尾展望台と摩天崖の観光も烈風と雨の中だった。
 翌日、一段と風速を増した北風に、船長から無情のアナウンスがあった。『輪島港の波浪高く、入港断念の上、手前の金沢港に寄港地を変更します』
 「日本一の加賀屋でいただくフルコース昼食」のオプショナル・ツアーも、早朝7時に出発して200キロを走るバスの旅となった。「白米千枚田」を飛ばされそうな強風の中で眺め、輪島の朝市通りでお土産を物色し、加賀屋で懐石料理ならぬ期待を裏切る宴会食の重いフルコースで疲れ果てて船に戻り、荒海の中を博多港に向けて一昼夜の航海に出た。
 最後の夜のフレンチ・フルコースも、家内は船酔いで食べられず、同情したシェフが雑炊を作ってくれて食べる羽目になった。

 それでも、船内の催しは精一杯楽しんだ。出港時のクルーズお定まりの救命具を装着した「避難訓練」の後、「ウエルカム・ドリンク」と「セイルアウェイ・セレモニー」で踊り、初日の夜の「ダリル・スミス ハートフル・ピアノ・コンサート」に聴き惚れ、スイート・ルーム以上のクラス専用のダイニング・ルーム「グラン・シャリオ」でフルコースを摂りながら「ベイサノス・トリオ」のラテンを楽しみ、最後の夜の「ハロウイーン・パーティー」では、家内は魔女のとんがり帽子、私は宇宙人のマスクで登場、大いに受けた。
 最後の日のビンゴゲームで家内が賞品をゲット、ようやく穏やかになった日本海から玄界灘への最終航路を、オープンバーで「フローズン・マルガリータ」と特製カクテル「パシフィック・ビイナス」で癒しながら、波乱の航海を終えた。

 帰り着いた博多港で、ようやく晴れた優しい海風に触れた。散々なクルーズだった。
 もし5度目の機会があったら、せめて「飛鳥Ⅱ」クラス以上で、(そして、今回のように日本人だけの)クルーズにしようね……旅を終えた二人の感懐だった。寄港地変更で、最終航海距離は1,448キロに短縮された。

 最終日、見事な夜明けを見た。せめてもの慰めだった。
                  (2016年10月:写真:日本海の夜明け)