蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

生かされた夏、生きた夏

2016年09月07日 | つれづれに

 お馴染みの宅急便配達の彼が、ようやくいつもの愛嬌を取り戻した。過酷過ぎた真夏、汗にまみれ疲労困憊した顔で「もう、たまらんバイ!」と喘ぎながら、休むことなく配達を続けていた。見かねて、その度に冷たく冷やした強壮ドリンクを差し出して励ましていた。
 ストンと落ちるように秋が来た。
 石穴稲荷の杜も、いつの間にか「オーシ、ツクツク♪」の声だけに包まれ、あれほど姦しかったクマゼミの気配は、もうひと声も聴き取ることが出来ない。日照りに萎えた草むらに、アブラゼミの翅がひっそりと横たわり、鬱陶しかった蜘蛛の巣もなくなった。つい先頃まで傲慢に居座り続けた37度の暑熱が嘘のように、突然23度で肌寒くなって……残暑の季節と思えば、30度程度ではもう驚かない。

 心底疲れ果てた夏だった。人一倍夏に強かった筈なのに、77歳という年齢を思い知る。1ヶ月を越えた家内の入院、命に障りがない病とはいうものの、連日熱中症で走り回る救急車のサイレンを聴きながら、殺風景な病室で不味い病院食に耐えて、腸の動きの回復をひたすら待ち続ける辛さは、経験した者にしかわからないだろう。時たま拙い腕を振るって、ちょっとした煮物をこっそり届けたり、パジャマや下着の洗濯物を運ぶ毎日だった。
 そんな中で、1年半振りにアメリカから帰国した娘と、留守を気に掛けながら沖縄にダイビングに出掛け、帰国前の買い物に付き合い、食事をさせ、2週間の日本の夏を駆けまわって無事福岡空港に見送った後は、ひたすら夏が逝くのを待ち続ける毎日だった。張り詰めるような緊張感が、辛うじて体力を維持し続けた。
 お蔭で家内も退院し、食事に気を配りながら90%の回復感を実感するまでになった。

 「人は生かされている」……そう思う謙虚さは、特に現代を生きる人間にとって、決して忘れてはならない大切な心構えには違いない。しかし、その一方で、傲慢なまでに「生きていく!」という意志がないと、この異常な夏を生き延びることは出来ない。「生きている」という受け身だけでは、あまりにも過酷な季節を耐えることは出来ないのだ。
 庭にすだく虫の声に身を委ね、朝晩のまだつつましい秋風に肌を吹かせながら、「何とか生き延びたな」と実感する昨日今日である。落ちた体重2キロを取り返す為に、意識して食い気に縋っている。

 夕刊に、自然と人間の共生のために貢献した研究者に贈られる「国際花と緑の博覧会記念協会」の「コスモス国際賞」を受賞した植物分類学者、岩槻邦男東大名誉教授の言葉を読んだ。地球上に多様な生物がいることを意味する「生物多様性」の減少、絶滅危惧種が増え続けていることを危惧しながら、彼は語る。
 「たった一つの種から始まり、何十億年の時を経て、確認されているだけでも180万種と言われる生物が地球上で暮らすようになった。この地球に生きるとは何なのかということを、ずっと考え続けてきた。…そろそろ年を考えようと思ったが、まだまだ死ねない。国際的な発信もつづけないと。…すべての生物は直接・間接につながり、お互いがいないと生きてはいけない。それは人間も同じ、自分も生命のつながりの中にいるということを思い起こし、命の多様性を守るために何ができるのかを、すべての人に考えてもらいたい」
 重い言葉である。因みに、彼は82歳。まだ77歳の若造が弱音を吐いてどうする。「生かされている」ことに感謝しつつ、「生きていく」という強い意志をもって、これからの日々を見詰めて行こうと、秋の玄関口に立って改めて思った。

 ミズヒキソウの茎に、蝶の抜け殻を見付けた。行方の知れなかったキアゲの幼虫の一頭が、こんなところまで旅をして蛹になり、焼けるような夏空にはばたいていったのだろう。
 既に懐かしささえ伴う、逝く夏の名残りである。
                      (2016年9月:写真:蝶の脱皮殻)