蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

春の至福

2016年04月12日 | 季節の便り・花篇

 車から降り立った途端、吹き募る寒風に思わずたじろいだ。北国では冬将軍が後ずさって雪という予報が出ていたが、まさか此処までその吐息の余波が及ぶとは思っていなかった。無駄で元々と、念のために積み込んでいた薄手のトレーナーを着込み、ベストを羽織り、さらに山歩きのザックの中に常備しているウインドブレーカーに袖を通した。
 ストックを伸ばし、途中のサービスエリアに新設されたコンビニで買いこんだ握り飯とお茶をザックに納め、60ミリのマクロと52ミリのクローズアップレンズを嚙ませた一眼レフを肩に下げて男池(おいけ)に向かった。

 すっかり毎年の恒例となったこの時期の山野草探訪ドライブ、今日は足首を痛めて静養中の家内を家に残し、日帰りの「孤老一人旅」である。お目当ては、大分県九重連山の裾に拡がる飯田高原、その西から北東に屏風を立てる泉水山の山肌を、絨毯を敷き詰めたように咲くキスミレだった。
 走り慣れた大分道を玖珠ICで降り、四季彩ロードを駆けあがった。お昼には晴れる筈の空は重く曇り、時折霧雨が車窓を濡らす。次第に広がる野焼きされた山肌が、期待を膨らませた
 しかし、いつも群生する山肌に黄色い色彩は一点もなく、ただ黒々とした斜面が続くばかりだった。咲いた痕跡もないという事は、まだ遅れているのだろうか?昨年、週末ごとの雨に祟られて焼かれなかった山肌、今年も野焼きが遅れたのだろうか?期待を裏切られ、一輪の気配もないキスミレに落胆しながら、一気に男池に向かったのだった。

 100円の入山料を払って、男池への道を辿る。日差しはまだ戻らず、木漏れ日のない新緑は淋しい。木陰の枯葉は、まだ冬の名残さえ残していた。時折アズマイチゲを見かける辺りも花の姿はなく、アマナが開かない花弁を垂れているだけだった。
 しかし、山は優しい。群生するキツネノカミソリを左に見ながら、すっくと濃い紫色の鎌首をもたげたマムシグサが番人のように立つ曲がり角を左に折れると、いつもの場所で真っ先に迎えてくれたのはヤマルリソウの群落だった。5弁の淡い瑠璃色の花びらが黒い土手土の枯葉の間にいくつもいくつも開いていた。まるで、小人たちの上着のボタンにしたいような可憐な花姿である。
 木立を縫うように歩き進める中に、次々と山野草たちが姿を現し始めた。白い穂を立てるハルトラノオ、無造作に散らばるムラサキケマン、そして、あったあった、淡い青紫のヤマエンゴサク!唇の形をした花冠は、ジロボウエンゴサクやムラサキケマン、キケマンなどと共に、私のお気に入りの花のひとつである。
 シロバナネコノメソウがあった。鐘形を押し開いたような白い花びらに、真っ赤な雄蕊がちりばめられて、思わず目を凝らして見詰めてしまう。そんな時、多分私は密かに微笑んでいるのだろう。傍らに、チャルメラを細い茎に並べたチャルメルソウが立っている。これこそ、その気で目を凝らさないと見落としてしまう地味な花である。しかし、小さな花の形は、ほかに類を見ない奇妙で不思議な佇まいである。

 巨大な岩を幾本もの根で抱え込んだ古木の傍らから、倒木の下をくぐって黒岳登山コースに向かう。エイザンスミレが咲く。ユキザサが蕾の穂を垂れる。ヤブレガサとバイケイソウが、お互いの縄張りを守るように別々に群れる。
 しかし、木漏れ日のない新芽の林は、いつもの輝きを喪って鉛色の空が趣を殺してしまっていた。しばらく辿ったが、密かに期待していたユキワリイチゲの姿はなく、諦めて男池に戻った。最後の坂道のかたわたらの土手に、2輪のシロバナエンレイソウが、3枚の葉に囲まれてひっそりと咲いていた。膝をついてカメラに収めたその膝元に、探していた黄色のネコノメソウが群れていた。まさしく「有終の美」だった。

 キスミレにこそ会えなかったが、懐かしい小さな山野草たちに迎えられて満ち足り、車の中でようやく切れた雲間から漏れる春の日差しに温もりながら、ほくほくとお握りを食べた。
 長者原、牧の戸峠、瀬の本と走り抜け、黒川温泉を過ぎて「ファームロードWAITA」を一気に駆け下れば、そこは立ち寄り温泉「豊礼の湯」。1200円を弾んで貸切露天風呂に浸り、湧蓋山のなだらかな稜線を見ながら陶酔の淵に沈んだ。
 掛け流しの濁り湯に癒され、至福の時間がゆっくりと流れて行った。

 273キロの山野草探訪ドライブを終えると、私の心身にようやく春がくる。
                  (2016年4月:写真;ネコノメソウ)