蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

片隅の春

2012年04月09日 | 季節の便り・花篇

 「チャラリーララ、チャラリラララ~」……昔々の大昔……若い人達にとって、「戦後」は現代史というより、最早近代史の範疇になるのだろうか。「明治は遠くなりにけり」という言葉も死語になり、今では「昭和は遠くなりにけり」と言うべきかも知れない。
 そんな大昔、試験勉強の深夜、木枯らしに途切れながらチャルメラを吹いてラーメン屋が回っていた。インスタントのはしりだった棒ラーメンの夜食に飽きて、時たま屋台を追っかけた。当時はまだ、町中にいろいろな売り声が聞こえていた。「焼きいも~!」を筆頭に、博多特有のオキュート売り、納豆売り、「アサリガイよござっしょ~!」と言う声も懐かしい。歌声を流しながら「ロバのパン」も来ていた。当たり前だが「ト~フ~!」と聞こえる豆腐屋は、今も時折やってくる。豆腐屋も棹竹売りも、今では軽自動車とスピーカーになってしまったし、「網戸の張替え~!」や灯油売りが、時にうるさく感じるほどの音量で静かな団地の朝を騒がせていく。
 時代は変わった。風物詩だけでなく、自然景観も、そして人の心もすっかり変わってしまった。

 庭の片隅でチャルメルソウが立った。ラーメン屋が吹くチャルメラに似た不思議な花である。5cmほどの茎に、5ミリにも満たないチャルメラが並ぶ。目線を意識して下げないと、気付かずに通り過ぎてしまう地味な花であり、蹲り目を寄せて見詰める小さな世界に、これほど見事な造形美が隠されていることを、多くの人は知らない。山野草の魅力はそこにある。陽だまりや木漏れ日の大地に、蹲り、這い蹲ってファインダーを覗き、息を止めてシャッターを落とす瞬間の高揚を何に例えればいいのだろう。

 うららかな日差しに誘われて、いろいろ心労が続き疲れ気味の家内を誘い、久し振りに天神山の散策路を歩いた。天満宮の西高辻宮司宅の裏から境内にはいり、九州国立博物館エントランスの前から遊園地脇の天神山散策路に登りかかる。荒れていた山道がいつの間に綺麗な木の階段に改修されて歩きやすくなった反面、野趣が失われたのが少し心残りでもある。
 その取っ付きの右手の斜面に、今年も期待通りハルリンドウとスミレの群落が広がっていた。小さな崖を攀じると、実生の可愛い楓の若芽が絨毯のように隙間なく広がる間に、足を下ろすのに躊躇うほどの青と紫の群生である。傍らに植えられたシャクナゲが早くもほころび始め、ピンクの花弁に暖かい春の日差しが注いでいた。紛れもない春がそこにあった。
 天神山の尾根を巡る散策路は楓の新芽が眩しいほどに美しく、盛りを過ぎた桜の少し色あせたピンクと対比する。木立の足元にはウバユリの若い群生。天開稲荷に手を合わせ、赤い鳥居の林立する石段を下った。

 「年々歳々春を待ち、歳々年々花を待ち…」と今年の賀状に書いた。気象は毎年のように「異常」と告げ、寒波が居座って今年の春の訪れは遅かった。唐突にやってきた春の足どりは速く、咲き遅れた桜が一気に満開となり、庭の片隅も慌しく春の装いを急ぎ始めた。ユキヤナギが瀧のように枝垂れ、ハナニラが群がるように咲き揃い、チャルメルソウがすくすくと立った。クサボケがオレンジに輝き、鉢の中ではいろいろな山野草たちが芽を伸ばしている。タイツリソウも間もなく釣竿の先に数匹の鯛を提げるだろう。木陰にはホウチャクソウが一斉に芽を出した。

 片隅の春……小さくて慎ましい中にも爛漫の春を謳う喜びが、疲れた心をいつの間にか優しく癒してくれるのだ。
                 (2012年4月:写真:チャルメルソウ)