蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

救出作戦

2008年08月08日 | 季節の便り・虫篇

 秋立つ……いつになく心に重い季節の言葉である。

 平年より早い梅雨明けのあと、厳しい暑さが続いている。真夏日は既に連続1ヶ月を超えた。35度がもうニュースにもならないほど、今年の夏は長く過酷である。暦の上の立秋の声を聞いても「嘘だろう!」と反発しながら、土砂降りのような蝉時雨の底で、酷暑に呻吟している。「狂暑」と書いた家内のブログに、賛同の声頻りである。
 夜明けの風に、ふとかすかな秋の気配があった。日差しが注ぎ始めたばかりの朝の空に、秋を思わせる雲があった。……油照りの夏の翳りだった。しかし、まだまだ残暑という厳しい日々が当分続くのだろう。
 庭の土を掘る地蜂の姿が俄かに増えた。ジジっと羽音を鳴らしながら、地面に穴を穿っていく。中学の頃、日差しに焼かれながら終日クロアナバチの生態を見守ったことがあった。穴のそばに蹲り、せっせと運んでくるバッタやツユムシの数を数えたり、穴のそばに小石を置いて蜂の反応を見たり…まだ昆虫少年だった日々の思い出には、何故か青く生臭い草いきれが似つかわしい。

 プランターのスミレに産み付けられた卵が孵り、逞しく食い尽くして蛹になったツマグロヒョウモンが、数日前に羽化して風に乗った。もう一つのパセリのプランターでは、キアゲハの幼虫が3頭、間もなく蛹化しそうなほどに育って、なお旺盛な食欲で3株のパセリを貪り喰っている。殆ど茎だけになった乏しい株では、とても3頭が揃って蛹になるまで持ちこたえられそうにない。虫を殺せなくなった「昆虫少年の成れの果て」は途方にくれた。この時期、パセリ苗の入手も難しく、かと言って先年の過ちの轍は踏みたくない。……かつて同じ状況に追い込まれ、スーパーで新鮮なパセリを買って、よく水洗いして与えたことがあった。ひと晩で真っ黒に変色して死に絶えた……まさか中国野菜ではなかったのだろうが、残留農薬の恐ろしさを思い知った事件だった。

 家内の進言で、夕暮れ近い町内の畑を歩いた。パセリ、パセリと呟きながら歩き回る目に、ひと畝の人参畑が飛び込んできた。人目を忍んで覗いてみると、いるいる先客が2頭。この量なら大丈夫と、急ぎ帰って、突然の狼藉にオレンジ色の角と強烈な匂いを発散して威嚇する3頭のキアゲハの幼虫を箱に移し、再び人目を忍んでこっそりと人参畑に置いた。Yさんの丹精こめた畑である。野菜泥棒以上に緊張した後ろめたい救助作戦だったが、「なに、人参は葉っぱは食べないからいいさ……ゴメンナサイ」と自己弁護しながら、意気揚々と家に戻った。
 翌朝、茎だらけのプランターに、なんと、また2頭の若齢幼虫が孵っている!……さてさて、忙しい秋の訪れである。

 命……害虫をただやみくもに殺すのではなく、人間と虫とが、お互いの生活圏を尊重しつつ、お互いに共存しながら棲み分けていこう、という九州国立博物館の思想に共鳴して、環境ボランティアを務めている。IPM(Integrated Pest Management:総合的有害生物管理)という。博物館学芸員を志す学生達の実習をサポートして、館内にたくさん設置された生物インジケーター(トラップ)の回収と、捕獲された虫の特定作業を行ないながら、しきりに「命」の意味を考えていた。
 
              (2008年8月:写真:キアゲハの幼虫)