蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

八朔

2005年11月09日 | つれづれに

 立冬を待っていたように、たわわに実を付けた八朔がかすかな色づきを見せ始めた。もう植えて十数年になる。3年前からようやく実り始めたものの、最初の年は僅か3個、それもかなり強い酸味で舌が痺れるほどだった。定年後植木職人の資格を取った友人の忠告で、根の周囲に自然薯鍬で50センチ程の穴を幾つも穿ち、油粕と骨粉をたっぷりと施した。2年目に10個が実り、土に転がして暫く雨に当てていたら、ようやく八朔らしい甘みを含んだ。3年目の今年、40個ほどの実が枝を大きく撓ませるほどになった。
 世界中で柑橘類の種類は3000種を超えると聞いた。その中で最も我が家に馴染む蜜柑・八朔…不思議な名前である。早速インターネットを開いたら、何と100を超える記事がある。その中でようやく探していたものを見付けて納得した。
 記事に曰く『八朔は、1860年に瀬戸内海に面する広島県因島の恵日浄寺の境内で、偶然発見された。八朔という名は旧暦の8月1日という意味で、この頃になると食べられることから、寺の住職が命名したと伝えられる。しかし、実際にはこの日ではまだ青く食べられない。八朔の日は、昔の農家では初収穫の節句として祝う習慣があったようだ。当時、数少ないビタミンの供給源であった八朔を供物として、収穫を祝ったのであろうと言われている。』
 隣りに両親が住んでいた頃、庭に3本の八朔の木があった。その下枝をくぐる垣根を取り払ってお互いに行き来していた。何か用事があると、八朔の青葉のトンネルをくぐって父や母が声を掛けに来た。炬燵を片付ける、大掃除をする、池の水を換える、キムチを漬ける、網戸を洗う…季節の折々で用事は違うけれども、「手が空いた時でいいから…」と言いながら、せっかちな母はすぐに馳せ参じないと機嫌が悪くなった。師走近くなるとやって来て「霜が降りたら苦くなるから…」と言って八朔をもぐよう急き立てた。脚立に上って100個以上をもぎ、廊下に転がして春先まで食べるのが常だった。今でも夢の中で、時折母が八朔の下枝をくぐってやってくる。
 長女が生まれ、名古屋で育児が始まった。冬の小春日和の午後、矢田川の堤で柔らかな日差しを浴びさせながら、八朔を「お獅子ばくばく」にして食べた。甘く柔らかな酸味を出産前から家内の胎内で味わったのだろう、娘も八朔好きで育った。ようやく豊かに実り始めた我が家の八朔、その味は冬休みにやってくる孫達へと、4代の家族に受け継がれていく。
 初冬の日差しを浴びて、今盛りの大文字草の花が白にピンクに輝く。今年の冬将軍はいつになく足取りが遅い。引き締まらない寒波に、紅葉も物足りないままに空が日毎鉛色に重く沈んでいく。
        (2005年11月:写真:大文字草・白石水)