蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

ふたたびの怒り

2005年09月26日 | つれづれに

 ここに一冊の本がある。「だれも沖縄を知らない」(森口豁著・筑摩書房2005年7月15日刊、¥1900)。沖縄県下40の有人島、その27の島々を巡るルポルタージュである。それは紛れもない怒りの書であり、しまちゃび(離島苦)、悲惨な戦場(いくさ場)をの体験、アメリカ一辺倒の国策を皺寄せされた基地問題、本土並という美辞のもと、本土資本に翻弄され、美しい自然ばかりでなく人の心までむしばまれていった辺境の苦しみの足跡等々……それは決して沖縄だけの問題ではなく、日本の政治と行政(利権・金権という共通軸に貫かれた現在の政治家や行政官庁、土建屋をはじめとする財界、そして一部の御用学者も含めた集団の詭弁と愚行を政治と云えるのならば、だが)そのものの縮図でもあり、それに気付かず他人事として醒めた目で見ている本土の人間への糾弾の書でもある。読み終えて沸々と滾るものに身のやり場を失った。
 それには訳がある。以下は3年前の秋、多くの政治家を輩出する母校・修猷館高校の同窓会誌に投稿した叱咤の一文である。

 ……日差しが次第に鋭角となり、空気にピンと張りつめた気配が漂いはじめると秋が深まる。早くも、吹く風にかすかに潜む冬の予感。叩きつけるように苛烈な南の国の真っ盛りの夏が、ふと懐かしくなる。
 6月末、まだ梅雨たけなわの本土を逃げ出し、ひと月早く明けたばかりの沖縄に飛んだ。学生が夏休みで動き出す前のこの10日間が穴場なのだ。那覇のホテルで荷物をほどいて、翌日、泊港から高速艇に乗った。
 およそ50分、慶良間諸島・座間味島。その古座間味という小さなビーチでスキン・ダイビングに浸る。波打ち際から数メートル波に浮かぶと、もうそこはエメラルド・グリーンのサンゴ礁である。恥ずかしくなるほどの透明な水に眩しい光がしみ通り,色とりどりの熱帯魚が群がってくる。モンガラカワハギに臑毛をつつかれたり、大きなブダイの口に、餌付けする指を吸い込まれたりしながら、時を忘れ歳を忘れた。
 翌日、読谷の陶芸家礼子さんの窯を訪ね、その友人の浦島さんの案内で沖縄本島北部・山原(ヤンバル)の森を歩いた。
 名護経由塩屋湾に走り、福地ダムから玉辻山に登り、大宜味村で昼食を食べて奥間川を少し遡行し、与那覇岳の中腹を歩いて日暮れに追われるという慌ただしいトレッキングだったが、ズシンと心に響くものがあった。
 標高300メートルの玉辻山の頂に立つと、眼下に濃密な亜熱帯の原生林が広がる。自然保護と基地廃絶の闘士である浦島さんが、指先に怒りを篭めて淡々と語る。この目の下の深い森は米軍のゲリラ戦訓練場で立入禁止、向こうに見える美しい辺野古の海は稀少種ジュゴンの生息圏、そこに普天間基地の代替ヘリコプター訓練基地が珊瑚を破壊して築かれようとしている、と。
 ここに至る道筋、森が切り開かれて舗装され、発見されてまだ20年余りのヤンバルクイナやノグチゲラが早くも絶滅に瀕している現場を見た。ノグチゲラが営巣するスダジイの古木が新しいダム建設のために無惨に伐採され、その丸太を近くの若木に縛り付けて営巣させようという痛々しい、そして愚かな人間の浅知恵も見た。南部の眩しい日差しに輝いていたアリアケカズラの黄色と対照的に、ヤンバルの木漏れ日に震えるホソバボノノボタンの可憐が心にしみた。
 バンダナを巻いた頭頂に斧を打ち込むような真夏の日差しが痛かった。それは絶望にも似た怒りの痛みでもあった。政と経が利権と金権にまみれて、途方もない破壊を重ねている。ギロチンを釣瓶落としに叩き込んでいった諌早湾干拓工事のニュースの映像が、再び背筋が震えるような怒りと共に思い出される。
 生き物の頂点に立つという驕りを持ったときから、ホモ・サピエンスは地球(ガイア)という生命体を破壊する唯一最悪の種となった。環境破壊はもう既に折り返せる限界点を越えたという。人類は滅びの笛を聞きながら坂道を転げ落ちている。そして、その道連れに、これまでどれだけ多くの生き物たちを絶滅に追いやったことだろう。政財界に数多くのリーダーを輩出する母校に、ふとおぞましさを感じるのはこういうときだ。「政・経に携わる先輩後輩諸氏よ、もちっとシカシカッとせんかい!」と叱咤したくなるのだ。
 10月8日、国は沖縄で又新たな開発(破壊)工事に着手した。南西諸島最大の泡瀬干潟を埋め立て、リゾート施設を作るという。底生生物や藻類の豊かな海が、またひとつ消えていく。長い旅の羽を休めていた渡り鳥たちはいったいどこへ行けばいいのだろう。……

 この秋、この本で改めて工事の実態を知った。その「マリンシティー泡瀬」という「海殺し」公共工事、実は泡瀬干潟の65%を埋め立て、大小6つのホテルやゲーム場、映画館などを建てれば、年間56万4千人の観光客が、平均5.2泊するという“行政の言葉遊び”の杜撰な計画に基づくものだという。そして、工事が進む3年後の今も、進出を約束した業者はいない。「補助金」という税金を湯水の如くコンクリートで流し込み、土建屋とその後ろで蠢く政治屋を太らせるだけの公共工事という不気味な怪物。それを平然と進めている政治屋集団を圧勝させてしまったこの秋の総選挙。安易に一票を投じた人達に、この「だれも知らない沖縄」を是非読ませたいと思う。
 ふたたびの怒り、それは底知れない恐怖の予感でもあった。
        (2005年9月:写真:「だれも沖縄を知らない」表紙)