蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

荒涼限りなく

2005年01月11日 | 季節の便り・旅篇

 カリフォルニア州ロング・ビーチ。クイーン・メリー号の向こうに眩しい花火が咲いた。ビーチでシャンパンを抜き、異境のニュー・イヤー・イブを祝って翌日、トラフィックを抜けて東に走った。
 ロスから460キロを走り続け、6時間半後、冬空とは思えない抜けるような蒼穹の下にいた。命の気配もない荒涼とした原始地球の姿に言葉を失った。岩と砂と、枯れ葉色の僅かな雑草と、乾き切った光景はまさしく死の世界だった。
 デス・バレー「死の谷」西半球で最も低い、そして最も暑い灼熱の谷が、およそ長野県の広さで横たわっていた。アラスカを除きアメリカ最大の国立公園。年間降水量僅か50ミリ、中心部の海抜マイナス86メートル、夏の気温50度という地獄のような世界は、真冬の今が最も観光に適したシーズンなのだ。57度という過去の暑さの記録を体験してみたいなどという望みは微塵も起きない殺伐とした光景だった。
 こんなお正月を経験することはもう2度とないだろう、と思いながら原野を走り抜けた。カリフォルニア州東部、もうネバダ州との境、ラスベガスまで140キロの位置にある。汗ばむほどの強い日差しの中で巡ったザブリスキー・ポイントの黄金に輝く山襞の威容、岩塩と泥が固まって累々と大地を覆い尽くすデヴィルズ・ゴルフ・コース、浸食され崩壊した斜面に色とりどりの鉱石が美しいアーティスト・パレット、ドライ・レイクに真っ白な岩塩が拡がるバッド・ウォーター、折からの夕日に見事な陰影で絶妙のコントラストを見せる砂丘・サンド・デューン、残雪を吹き渡る烈風に震え上がったダンテス・ビュー、そして大理石の岩盤を穿って羊腸と続くモザイク・キャニオンのトレイル…命の存在を否定するような過酷な佇まいの前に、いつしか自分自身が限りなく小さな存在に見えてくる。「なんくるないさァ」という沖縄の人々の哲学をふと思い起こしながら、その夜はネバダ州の高原の小さな街・ビーッティーのドライブ・イン・ステージ・コーチ(駅馬車!)に泊まった。
 ワインに心地よく酔いながら、カジノでちょっぴり散在して眠りについた。翌朝目覚めた私たちを迎えてくれたのは、夜半に降った純白の雪景色だった。紛れもなく今は真冬だった。
           (2005年1月:写真:ザブリスキー・ポイント)

テメキュラの秋

2005年01月11日 | 季節の便り・旅篇

 真っ青な空を、音もなく飛行機雲が切り裂いていく。南カリフォルニアの空気はどこまでも澄み渡り、吹く風は限りなく優しかった。ここに映画産業が栄えるのも、この澄んだ大気があるからと頷ける。ロサンゼルスは既にスモッグの街と化しており、グリフィス天文台のある高台から眼下のビバリーヒルズ、ハリウッド、そしてロス・ダウンタウンへと目を転じていくと、壮麗な光の海の上空に横一線スモッグの層が横たわっているのが見える。しかし、郊外は海風が汚れを払い、写真に撮るとびっくりするほどに美しい青空が写る。ちょっぴりプロのカメラマンになったような優越感が味わえるのが、ここ南カリフォルニアの空気なのだ。ハリウッド大通りを歩き、映画のロケ地巡りをし、ハリウッド・スターの豪邸を覗き、映画好きの私達は舞い上がっていた。
 娘の住むロス郊外・ロング・ビーチにステイし、11月半ばの収穫祭を楽しむことにした。ロング・ビーチから東南に2時間ほど走る。片側5車線の高速道路を140キロあまりで軽業のように車線を変えながら突っ走る旅は、慣れるまで身のすくむ思いだった。折角国際運転免許証を取って張り切ってきたのに、一瞬で諦めてしまった。
 乾き切った荒涼とした荒れ地や砂漠が、やがて一面葡萄畑が拡がる美しい谷間に変わる。メープルやイチョウが色づき、真っ青な、文字通り「カリフォルニア・ブルー」の快晴の空に眩しいほどに映えた。
 テメキュラ・ワイナリーの収穫祭のテイスティング。最初のワイナリーで記念のグラスを40ドルで買えば、それで14のワイナリーが全てフリーパスとなり、ワインの試飲とワイナリー毎の趣向を凝らした家庭料理が、飲み放題食べ放題となる。欲張って7つも廻る頃にはもうへべれけ。どのワイナリーも素朴で暖かいもてなしが嬉しい。豪華なリムジンで回る客もいて、豊かなカリフォルニアをあらためて実感したのだった。
 お気に入りのワインと、バッカスが豪快にボトルを呷る像をあしらったワインの栓を土産に買った。ワイナリーを後にするころ、糸杉の並木が斜めに影を落とし、見事な陰影でテメキュラの秋を演出して見せてくれた。
                (2004年11月:写真:糸杉の並木)

再会の氷河

2005年01月11日 | 季節の便り・旅篇

 バンクーバー空港で迎えてくれた娘の顔が何故か眩しかった。単身、アトランタで男勝りの仕事をこなす逞しさを微塵も感じさせない小柄な身体が輝いていた。久しぶりの親子対面の舞台をカナディアン・ロッキーと決めて成田から飛んだ。
 フィリピンの大学から始まった次女の海外生活は、カナダ・サスカチェワン州の語学研修、アメリカ・ジョージア州の大学を経て、アトランタ就職で本物になった。その生活現場を初めて訪ねる序でに(それは初めてのアメリカ訪問でもあったのだが)念願のカナダを親子3人で旅することにしたのだった。
 リムジンを借り切ってバンクーバーで一日遊んだ後、エドモントンに飛び、ガイドの車で西に6時間、何もなかった地平線から、氷河を抱いた壮大なロッキー山脈が次第に迫り上がってくる。8月の終わり、ドライブの途中降った霰が山では新雪となり、吹く風の冷たさはすでに初冬。ジャスパーの湖畔で一夜を過ごし、山脈沿いにアイス・フィールド・ハイウエイを三日かけて南下する豪快な旅の始まりだった。
 マリーン・レイクに始まり、アサバスカ滝、サンワプタ峠、コロンビア大氷原、ボウ峠、レイク・ルイーズ、モレーン・レイクを経てバンフに至る道筋、何度嘆声を挙げたことだろう。氷河に削られた峻険な嶺々の圧倒的な存在感、蒼く輝く氷河、エルクやムース、ブラック・ベア親子などの生き物たち、目を見張るほどに透明で神秘的な湖水(午後9時近い遅い夕暮れの中で見たモレーン・レイクの水の色を、いったい何に譬えたらいいのだろう)、霙に叩かれながら辿ったコロンビア大氷原の風の冷たさ…息つく暇もなく繰り広げられる大自然の饗宴にひたすら酔い痴れた。
 針葉樹林帯の中に聳える優雅な古城のようなバンフ・スプリングス・ホテルでリッチな眠りに沈んだ。すぐ近くをボウ河が流れ、ボウ滝が激しくせせらぐ。そう、ここはかつてマリリン・モンロウの映画「帰らざる河」のロケ地でもあるのだ。映画好きな私たちにはこたえられない旅の醍醐味だった。
 カルガリーからナイアガラ瀑布を目指してトロントに飛んだ、三日間雄渾な氷河の嶺々に慣れた目には、あの巨大な滝がもうそれほど大きくは感じられなかった。
           (2004年9月:写真:カナディアン・ロッキー)